ためになる言葉と、薬を少し

 初期近代の医者が、患者に対して「ためになる言葉と、薬を少し」与えていたという論文を読む。文献はCook, Harold, “Good Advice and Little Medicine: The Professional Authority of Early Modern English Physicians”, The Journal of British Studies, 33(1994), 1-31. なお、Good Advice and Little Medicine の引用はシェイクスピアの『ヘンリーIV世』から。

 古典医学の昔から、内科医が診た患者に与えるものは二種類に分けることができた。Regimen(養生法)と Medicine (薬)である。レジメンというのは、あれを食べろ、これを飲むな、運動はどうこう、セックスはできれば控えめに(笑)、などといった生活指導である。メディシンというのは、かくかくの薬を調合して一日何回服用すること、という薬の投与である。この両者のバランスを考慮することは、医者のアイデンティティにとって重要な意味を持っていた。一言で言うと、レジメンを与えるほうが、医者に好まれていた。当時の医者は、メディシンを与えるよりも、レジメンを通じて患者の生活を改善することのほうが、自分たちのアイデンティティに合っていると考えていた。

 16世紀のロンドンの医者たちは、王の勅許状でロンドンの医療の監督権も与えられていた。首都で医者であることは、国事を担う重要な公僕であることも意味した。それゆえ、国政に携わるものに相応しい威厳が要求され、重々しさが尊ばれた。大学で受けた長い教育-古典学の習得から始めて医者になるのに10年以上はかかった-は、彼らに判断力、人格、専門的な知識を与えるとされた。(経験はさして重きを置かれなかった。)より重要なことは、教養であり自然哲学であり、そして何よりも道徳的威厳であった。威厳と教養ある専門家に似つかわしいのは、薬売りのような真似をするよりも、患者の理性に訴えて説き聞かせて生活習慣を改めさせることであった。

 しかしさまざまな理由で、18世紀になって医者たちのアイデンティティが変わってきた。国事に携わる荘厳さではなくて、公共空間としてのコーヒーハウスでのウィットが聞いた警句をはく洗練が重んじられるようになってきた。医者の重々しさは古臭い文化の名残として揶揄の対象になった。広範な医療市場の成立が、医者たちに違う振舞いを要求するようにもなっていた。その中で医者たちは薬の処方に重心を移すようになっていった。

 というわけで、たくさんのトピックを盛り込んでできるだけ壮大に作られた話だから、細かいところでは突っ込みどころがたくさんあると思うけど、この議論のポイントは、治療法における大きな枠組み(養生か薬か)の選択とウェイト付けが、政治と社会に媒介された医者の専門職としてのアイデンティティ作りによって決まってきたという話である。治療は、そのつど医者のアイデンティティを再確認する行為だという魅力的な方向の議論である。