大量殺戮の疫病が来る

 授業の準備でローリー・ギャレットの『カミング・プレイグ-迫りくる病原体の恐怖』を読む。山内一也の監訳で、河出書房新社から2000年に上下で翻訳が出ている。

 日本の感染症の歴史をまとめる仕事を始めて、現代の新興・再興感染症のルポルタージュの名著の誉れが高いギャレットの同書は、ずっと読みたかった。著者はアメリカの医学ジャーナリスト。ハーヴァードの公衆衛生大学院に籍を置いたこともある。(まっぴ~君、先輩ですね ^^) ウィルス学のテクニカル・グラスプもシュアーなものを感じさせる。歴史の史実は少し怪しいけど、許容範囲には楽勝で入っている。何よりも魅力なのは、ボリビアの熱帯雨林からアフリカの僻地、そして大学の実験室や大都市のスラムといった、世界中のあらゆるタイプの土地における感染症のアウトブレイクの事例を取材し、それらから手に汗を握るようなストーリーを作り上げている豪腕である。

 その魅力に特に貢献しているのは、ギャレットの腕もさることながら、登場人物たちである。未知の感染症のアウトブレイクに立ちあい、それを押さえ込もうとする医者たちは、ちょっと冒険好きで、自分の恐怖を押さえ込んで、誰でも逃げたくなるような状況に踏みとどまって闘って市民を守る。「感染症のカウボーイ」と彼女は言っているが、時として彼らはむしろ保安官である。かつて「微生物の狩人」とクレイフが呼んだ一つの行動類型は、話を生き生きとしたものにいている。いずれにせよ、この書物の基本的なジャンルは「西部劇」である。(これは、侮蔑的な意味で書いているのではない。) 

 このように試験管をベルトに指した白衣のカウボーイや保安官が活躍する話が、アメリカで人気が出ないわけがない。アカデミックな歴史家の多くは眉をひそめるだろうが、本書は学術書ではないし、社会構造や国際政治の視角など、アカデミックな視点も、このジャンルの他の書物(例えばプレストンの『ホット・ゾーン』)に較べるとはるかに充実している。

 私が気になっているのは、カウボーイシップというか保安官精神というか、そういうものが、現実にアメリカの公衆衛生官やウィルス学者に存在するのだろうか?ということである。ギャレットが話を面白くするために脚色するために織り込んだ物語のための構造なのか、それとも彼女の登場人物たち自身が、そのように実際に振舞っているのか。 あるいは、日本で私たちをノロウィルスから守ってくれている公衆衛生官たちはどうなのだろうか? 彼ら・彼女たちも、カウボーイや保安官なのだろうか? 日本公衆衛生学会には何度か行ったことがあって、その学会員たちはとても温厚そうに見えた。野菜の着ぐるみが踊っているビデオを作って、よい子が楽しく野菜を食べて栄養のバランスが取れるように考えている優しいおじさんやおばさんたちも、一皮はぐと本当は保安官魂を燃やしているのだろうか?