島根の狐憑き

 妙な話だが、コレラの準備で、島根の狐憑きの古典的な報告を読む。文献は島村俊一「島根県下狐憑病取調報告」『東京医学会雑誌』6(1892), 699-705, 769-778, 981-986, 1049-1055, 1141-1146, 7(1893), 124-128, 233-236, 468-471.

 しばらく前にコレラと狐憑きが関係あるかもという記事を書いたけど、この両者の関係は、とりあげず今回の論文についてはあっけなく解決した。コレラではなくて天然痘や麻疹などの流行病だけれども、「病者発熱の際、少しく譫語あるときは、必ずこれを疑って狐憑なるべしと推量し、山伏あるいは禰宜(ねぎ)等についてこれを占せしむ」とこの論文に書いてあるから、とりあえずはこれでいい。拍子抜けした。

 コレラや流行病の関係よりも、狐憑きはやはり面白い。この論文は、後に京都府立医科大学の精神科で教鞭をとることとなる島村俊一が、東大医学部にいた頃に、島根県に出張しておこなった調査。 圧巻は、島村が直接面接して診断した全部で34名の患者(男13名、女21名)から、その半分くらいについて面接と診断の記録が掲載されている部分である。色々な意味で読み応えがある。例えば次のような記録。(現代語訳しました) 

 人狐憑 藤原某女 明治24年5月7日に発病。はじめ患者は家族のものと庭で麦を打っていた。すると突然、胃のあたりに疼痛を感じ、激しく頭痛がしたので、すぐに家に入って横になった。その後、妄語を発し、妙なことをべらべらとしゃべる。家族はその挙動をみて、すぐに狐憑きだろうと考えて、患者にどこからきたかと聞くと、患者が言うには、「私は隣の家の山本何某である。(この山本というのは、貪欲だという評判がある人物である)我が家は5人家族、なんじの家はわずか3人である。しかし、病後だというのに、麦うちなどをして労働し、金銭を得て富裕になろうとすることは、実に欲深な行為である。私はこれを隣から見ていて、羨ましいこと限りない。よってこのものに憑いたのだ。」これを聞いて家族は、祈祷を乞い、加持を仰ぎ、少し軽快した。

藤原さんに「取りついた」山本さん狐の妙なロジックも面白いけど、やはり「ねたみ」と「告発」の構造がいい。ヨーロッパ、特にイギリスの魔女狩りを知っている人は、あらあらと思うだろう。マクファーレンやトマスが分析した、村の貧者と富者の関係をめぐる緊張が生み出す魔女告発というモデルが、ほとんどそのまま出てきている。狐を放って「憑かせる」家を持筋といい、狐を憑かせる能力は家の血筋で継承され、この家系は恐れられて差別されるそうである。特に新たに「持筋」だという告発がされると、その家の将来を直接左右することができる。特に面白かったのが、この「持筋」が富んでいる家でもいい、ということである。この引用では、より豊かな家のものが、隣の貧しい家をアキューズするのに使われている。(イギリスではこのベクトルが一般的だった。)急にのし上がった成金や、あるいは金持ちなくせにケチな家に、持筋の汚名を着せることもできる。(セイラムの魔女裁判にはそんな力学があった。)その家が村の富裕者だったときには、村における経済的再分配すら期待できる(笑)。