コレラのリサーチの関係で、流行時の特定の食物忌避に触れる。ちょっと気が利いた概念を探して、手元の文献を読む。しばらく前に「身体の社会学特論の女王」として紹介したデボラ・ラプトンの本である。Lupton, Deborah, Food, the Body and the Self (London: Sage Publications, 1996).この本は『食べることの社会学』として翻訳も出ている。さすが女王だけあって、議論を引き締めるフレーズと概念の陳列棚を眺めているようである。大いに助けられた。その中で一つ面白かった話と、思いついてしまった猥談を。
食物に残された「歯型」が嫌悪されたという話である。この話は、もともとはバフチンやエリアスが問題化して有名になった「食べる」という行為がもつ緊張の中で紹介されている。学者たちが「グロテスクな身体」と呼んでいる概念があって、主に体の内側の、明確な形や境界を持たない液体や流動物や臓器であふれている状態である。こういう身体を制御・規律して、明確な形がある外枠をはめよういう傾向が、近代以降のエリートの文化の中で強くなるが、これは「文明化の過程」などと呼ばれている。食べるという動物的な行為であり、咀嚼というグロテスクを生み出す行為は、それを文明化しよういう力学と拮抗しているという話で、両者の関係はこの30年ほどの歴史研究や社会学の一つの焦点になっている。すごく大雑把にいうと、身体性を規律するのが文明であるという話だと私は理解している。
その関係で、ヴィクトリア朝のテーブルマナーにおいては、食物についた「歯型」が嫌悪されたそうだ。かじりかけのパンや果物などは、当時のテーブルマナーでタブーだった。これは今でもお行儀が悪いことだけれども、ヴィクトリアンにとってはより深刻な問題だったという。歯型がついた食べ物は、食べることが持つ動物性を露出し、食卓という衆人環視の文化の場に、人間がケダモノであるという刻印を放置する、極めてわいせつな行為だったという。
ま、ピアノの足にスカートを履かせたという逸話(モダニストのネタに決まっているじゃん、そんなの・・・笑)と同工異曲で、この歯型のわいせつさについての解釈が正しいかどうかはよくわからないが、ふと思いついてしまった猥談を少しだけ。私の世代の人間なら誰でも<デンターライオン>のコマーシャルを憶えているだろう。「リンゴを食べると歯ぐきから血が出ませんか」というやつである。あのTVコマーシャルでは、かじりかけであることが思い切り強調されたリンゴが使われていた。かじる音を憶えている人も多いだろう。少年だった私は、リンゴを丸かじりするたびに(あまりさせてもらえなかったけど)、CMのような派手でさわやかな音を立てようとしていた。あの、一口かじったばかりのリンゴの映像は、ヴィクトリアンにとっては性器を露出するのと同じくらいわいせつなものだったのかしら?ライオン歯磨きは、それをぼんやりと意識していたのだろうか?どうせ猥談ついでに書いてしまうと、かじりかけのリンゴといえば、アップル社の商標が有名だけど、潜在的には、あれもわいせつでショッキングなものだったのかしら? 潜在的なわいせつさって、そうでないものを探すほうが難しいと思うけど(笑)。