ロンドンの「アメリカ人」医師


未読山の中からいかさま医学のイコノグラフィの論文を読む。文献はSchupbach, William, “Illustrations from the Wellcome Institute Library: Sequah: An English “American Medicine” – Man in 1890”, Medical History, 29(1985), 272-317.

 1880年代の後半からイギリスで最も有名-というか悪名高い-医者だったSequah (何と読むのだろうか)こと、ウィリアム・ハートレーは、1857年におそらくヨークシャーに生まれた。アメリカでしばらく過ごしたあと、そこで色々な大道芸的な医学セールスを学んで、イギリスに帰って、「アメリカ人」あるいは「カナダ人」として、ド派手なセールスでイギリス人の度肝を抜く。彼の薬のセールスは、楽隊が彼の到着とセールスを宣伝し、予告された時刻と場所に群集が群がったのを頃合に、カウボーイに扮した彼と彼の助手、そしてインディアン(歴史名辞としてこの言葉を使います)たちがアメリカ式の荷馬車に乗って登場する。まさしく、医療マーケットのディズニーランド化である。彼のショーは、まず舞台上で虫歯を抜く無料サーヴィスから始まる。目にも止まらぬ早業で、あるショーでは39分で320本の歯を抜いたことが記録されている。次は薬の治療の実演。彼はセールスマンの雄弁で、近年の医学の進歩は色々なことを明らかにしたが、治療には全く貢献していないことを述べ立てる。この指摘自体は正しい。しかし、彼はインディアンの秘薬を入手したという。文明と科学ではなく、豊かな自然こそが治癒の秘密を握っているという当時有力だったレトリック(そして現在でも有力なレトリック)であるが、コカインにせよキニーネにせよ、当時の医学の主要な薬が南米起源の薬草だったことを考えると、これももっともらしい話である。彼の秘薬は「プレーリーの精花」という飲み薬と「インディアン・オイル」という塗り薬。観衆の中からリューマチに悩むものを募り、舞台に上げて、カウボーイのいでたちの助手たちが患者に薬を塗りこむと、痛みは嘘のように消える。ここで一番大事な薬の販売になるわけだが、歯を抜く早業と、眼前で展開した治療にすっかり熱中し、演奏を続けるブラスバンドの大音量に陶酔した観衆は、先を争って薬を買い込んだという。後の分析では、この飲み薬はアロエなどが入っていて、塗り薬は「オレガノが入っている魚油」だったという。

 シュップバッハの論文は、緻密なリサーチに基づいていて、ハートレーのケースが裁判になったりしたときの資料なども分析されていて、イコノグラフィを織り込んだソリッドな医学の社会史のお手本のような論文。

画像は「クラッパム・コモンのセクアー」と題された1890年ごろの油絵。