『天平の甍』

 今日は無駄話を少し。

 年末に奈良に行ってありきたりの観光コースを平凡に回ってきた。ガイドブックのモデルコースそのままと言っていい。その中でもまず薬師寺の新しい回廊が印象深かった。回廊に囲まれたこの空間で1000年以上も前に学問をしていた仏教僧たちが、突然のように身近に感じられた。それに続いて訪れた法隆寺の夢殿を囲む回廊では、聖徳太子の瞑想の息遣いが感じられるような錯覚すら持った。上手く説明できないけれども、「回廊」が重要なことは確かだと思う。でも、同じ回廊でも東大寺の大仏殿はぴんとこなかった。この巨大な仏像を建立した何者かは、私が共感できるような何者かではない。家に帰ってから25年ぶりくらいに読み返した『天平の甍』の中にこんな下りがあった。

「良弁は小柄で、額の冷たい感じの無表情な僧侶であった。彼は大仏建立の由来を説明して、唐にはこのような大きな仏像があるであろうかと訊いた。ありませぬ、と鑑真は静かに答えた。普照は何となく鑑真が盲いていて、この仏像をみないことでほっとした思いであった。確かに唐にはこのような大きい仏像はなかったが、不思議に良弁のその時の言葉は普照の心にはなじまなかった。」