昭和の乞食

 なぜこの本を読もうと思ったのか分からないが、秘書が借り出してくれた本の山の中に面白い本があった。文献は石角春之助『乞食裏譚』(東京:文人者出版部、1929)

 昭和戦前期の浅草の乞食の生態が描かれている本である。乞食には階級があるという話で、厳格な組織の一員である、ほとんどサラリーマンの乞食の「ケンタ」、ケンタのように組織に属してはいないが乞食のルールを遵守する「ツブ」、残飯を貰う代わりに料理屋の前を掃除する「ダイガラ」、寿司屋の残飯専門の「ヅケ」などなどの生態学を、結構面白く読んでいるうちに、何人かの有名な精神病の乞食の話を読んで、ここを読みたかったのだと思い出す。戦前の上野駅の前で厚化粧とコスプレで有名だった若い精神病の青年乞食の話のメモを取る。確かに昔は色々な場所で名物になっているキチガイがいたような気がする。18世紀まではロンドンの精神病院(ベスレム病院)自体が見世物小屋の機能を持っていた。

 この本はちょっと不思議な本である。社会派の硬いルポルタージュというよりも、それぞれの乞食の個性やエピソードがふんだんに紹介されている洒脱な本である。フィールドワークの社会派にしてはちょっと異質な感じだなと思ってちょっと調べてみたら、この石角という人物は面白い。例えば『変態性的婦人犯罪考』などといういかにもエログロ系の本を昭和二年に出版しているし、河出書房の「性の秘本コレクション」に収められている『未亡人』は彼の作と伝えられているらしい。この本でも、乞食の「変態性」について嬉しそうに書いていたりもする。やはり「変態」(degeneration) というキーワードで、未亡人の性から都市ホームレスの生態までを捉えていると見るべきなのだろうか?しばらく前に紹介した「毒婦・高橋お伝」の性器の解剖を書いたときにも感じたのだけれども、変態理論というのは意外な広がりを持った思想現象で、その多様さにはいつも驚かされる。