北米の精神医学と優生学

 アメリカとカナダの精神医学者にとっての優生学が持っていた意味を論じた研究書を読む。文献はDowbiggin, Ian Robert, Keeping America Sane: Psychiatry and Eugenics in the United States and Canada 1880-1940 (Ithaca: Cornell University Press, 1997 & 2003)

 優生学の歴史は医学史の中でも際立って現代性を持つ主題である。その現代性は二つの点において特に明瞭である。まず第一に、過去に行われた優生学的な発想に基づく医学的介入の痕跡とその「記憶」を持つ人々が、現実に生身の人間として存在し、活発に発言していることである。彼らが補償を求めて訴訟を行ったとき、過去に行われた介入に対する事後的な判断を、現在においてしなければならない。第二に、優生学は現代でも「生きている」医学的介入であるという点である。現代の生殖医療は、不良な子孫を排除する医学的介入の手段を数多く提供し、優良な子孫を残すための手段を実現させている。現代の研究者たちは、私たち自身とその社会の生物学的な基盤にかかわる倫理的な問題として、この問題に対して何らかの立場を取らなければならない。

 この状況は優生学の歴史研究を「熱い」問題にしている。このホットな問題をめぐる研究は過去20年ほどの間に急テンポで進み、優生学の歴史研究は医学史の最大のインダストリーになった。この「研究熱」の功罪について立ち入って議論する資格と準備は私にはないし、きっとよく探せば優れたレヴューが少なくとも英語圏では出ているのだろう。

 この研究書は、英米の優生学の歴史研究が新しい成熟した段階に入っていることを象徴している。アメリカの精神医学者たちにとって、優生学の人種的、階級的、ジェンダーの側面よりも、専門家として彼らが直面していた問題を解決する手段としての側面が重要であった、というのがこの書物の主張である。一言で言えば、イデオロギーよりも臨床の状況が重要であったというのである。主張として確かに華々しさやインパクトには欠けるが、私には説得力がある。