自由・平等・コレラ

 19世紀フランスの公衆衛生の思想史を読み返す。文献はAisenberg, Andrew R., Contagion: Disease, Government, and the “Social Question” in Nineteenth-Century France (Stanford: Stanford University Press, 1999).

 リベラルな体制における公衆衛生の政策の背後にある思想を分析した高い水準の研究書。公衆衛生の権力が<自由な個人>の周囲に描いた社会思想の幾何学を明らかにしようとしている。フランス革命以後、<自由>が政治思想と行政の中心におかれる一方で、1832年以降に幾度もフランスを襲ったコレラの流行は、自由な個人の間に存在する関係を通じて感染症が広がることを明らかにした。コレラの流行を通じて、個人の自由という領域の周りに<社会的な空間>が具体的な形を取って形成され、そしてこの空間を改良することが政府の責務として設定された。

 19世紀のリベラルな公衆衛生の躓きの石となったのが、貧困と疾病の問題であることはイギリスもフランスも変わらない。貧民が多い地域でコレラの被害が激しいことはすぐに明らかになった。それなら、コレラの死亡率を下げるためには、政府は貧困をなくすよう努力するべきなのか?労働者たちの要求に応じて賃金を上げるべきなのか? ありていに言えば、社会主義に転換しないと死亡率は下がらないのか? フランス公衆衛生の父であるヴィレルメは個人の間で自由に結ばれるべき労働契約の問題を回避して、労働者の家庭内における状況こそが問題の核であるとした。特に母親のだらしなさが貧困と病気を生み出すと考えている。19世紀の末には foyer (日本語で病竈と訳されたのはこの語だろうか?)と呼ばれた不潔な家屋が密集する小地域が問題とされ、この地域に対する衛生工学的な介入が中心的関心となった。「個人」と「実質的平等」の問題を回避して、家庭や小地域を介入のポイントとして設定するという特徴を、19世紀のフランスの公衆衛生は持っていた。

 文体はやや硬くて読みにくいが、丁寧に読み返すに値する書物である。