愛の黒魔術

 ルネッサンスの異端審問の記録に現れた愛の魔術を語った研究書を読む。文献はRuggiero, Guido, Binding Passions: Tales of Magic, Marriage and Power at the End of the Renaissance (Oxford: Oxford University Press, 1993).

 著者は1985年の Boundary of Eros で評価を確立したイタリア史家。性犯罪の裁判記録を中心に、ルネッサンス期のヴェニスの性の歴史を探求した傑作だった。この書物も似たような記録を使っている。<ミクロヒストリー>を掲げて臆するところがなく、愛の魔術をめぐる5つの魅惑的な事例が流れるように語られ、物語の合間に鋭い洞察が挟み込まれている。時間があったら全部読みたかったのだけれども、特に関係がありそうな三つだけしか読めなかった。

 ルネサンスの女性、特に娼婦たちが男を惚れさせるのに使った愛の魔術が主題である。主な分析枠組みは、公式のイデオロギーであったキリスト教が、その強力な悪魔像も含めて、女性たちが使っていた愛の魔術に浸透していたということ。公式イデオロギーを換骨奪胎して民衆世界を支える思想が作られるというパターンを強調する。そして、愛の魔術は「日常の詩学」と呼べる、日々の生活を構成する方法の一つであり、エリートも民衆もそれを共有していたこと。そして最も面白い視点は、魔術は、「愛」という人々の間の関係性を作り出す力を操作しようとしたがゆえに危険であったこと、つまり、夫婦や家族といった、権力がそれを保持しようとしている重要な社会的関係を脅かすものとして捉えられたということ、だった。

 実際の魔術が詳しく語られているが、これが思わず読みふけってしまうくらい面白いものばかりだった。15世紀のヴェニスにいたあるギリシア人の娼婦は、聖別された蝋燭である男の男根の長さを測り、それを教会で燃やすことで彼の心を支配し、彼の愛情を独占しようとした。この事例に解説をつけて、「測定することは支配することである」というフーコーのパロディのような台詞を抜けぬけと書くセンスが、イタリアの善良なおじさん風で良い。あるいは、15世紀の娼婦が客を惚れさせるために放った次のような呪文を読むと、マゾヒズムのイメージの原型はここにあるのかなあと思ってしまう。「汝Nに呪文をかけ、地獄の内と外なる悪魔によって、汝の愛を呪縛する。汝の手足、髪の毛、頭、目、鼻、口、心臓、そしてとりわけ男根を呪縛せよ・・・我らが主、イエス・キリストの手足が縛られたように、わが愛で、汝Nの手足を縛って貫き刺し、この世で我、M以外には何者も愛せないようにせしめよ。」なお、ついでに言うと、ヴェニスの娼婦の間では、例えば自分の世紀に聖油を塗って客と性交すると、男の心は彼女の虜になってしまい彼女しか愛せなくなるが、女(自分)には影響が出ないから、好きなだけたくさんの客が取れるという、なんとも都合がいい魔術があったそうである。