ボーヴォワールの『老い』


 必要があって、ボーヴォワールの『老い』に目を通す。文献はシモーヌ・ド・ボーヴォワール『老い』上・下、朝吹三吉訳(京都:人文書院、1972)

 ボーヴォワールの著作の中では『第二の性』に次いでよく読まれているものだと思うが、私は読むのは初めてである。これはタイトな議論や果敢な洞察を展開している本というより、老いについての興味深いエピソードのアンソロジーで、それに実存主義風の警句がつけられている本として読んだ方がいい。人類学と歴史、文学や思想から老いについての名言やエピソードをテーマごとに縦横無尽に引いている。もともとタイトな議論をする本ではないから、エピソードをたっぷりと語る余裕がある。ヴィクトール・ユゴーの妻ジュリエットが、老いても売春婦や元女中との性行為にふける夫に対してすさまじい嫉妬を表現した話は10ページ近くのスペースが割かれ、トルストイの妻のソフィアが晩年の夫の同性愛的な執着の相手に嫉妬を炸裂させていた話にも10ページ近く使われている。どれも面白い。私は何となく誤解していたが、これは読んで楽しく、そして心に残る老いの指南書である。 

 そんなわけで、引用したい言葉はそれこそ数え切れないほどあるが、17世紀フランスの書簡の名手セヴィニェ夫人から一つ。少し編集してあります。 

 「まことに幸いなことに、私たちは人生の異なる時期の移り変わりをほとんど感じません。この傾斜はなだらかに進み、意識されません。それは動いていくのが私たちには見えない文字版のうえの時計の針に似ています。もしわたくしたちが二十歳の時、鏡の中にわたくしたちが六十歳のときの顔を見せられたらとしたら、わたくしたちはびっくり仰天し、この顔を恐ろしく思うでしょう。しかしわたくしたちは一日一日と進むのです。私たちは今日、昨日のように在り、明日は今日のように在るでしょう。このように、私たちはそれを少しも感じずに進んでゆくわけで、これはわたくしが感嘆してやまない神の奇跡の一つなのです。」

 さすが一世を風靡した手紙の達人だけあって、洒落ている。

 画像はジョルジョーネの「老婆」。