ついでに19世紀の有名な監禁児童カスパー・ハウザーの記録に目を通す。「必要な情報があるかどうか斜め読みする」ときに翻訳があるのはありがたい。A.v. フォイエルバッハ『カスパー・ハウザー 地下牢の17年』中野・生和訳(東京:福村出版、1977)
1828年にニュールンベルクの街に、場違いな野良着を着た若者が忽然と現れた。苦しそうな様子で、いくつかの言葉を口走るだけで、まとまった話しをすることができない。とりあえず保護された彼は、自分は<カスパー・ハウザー>という名前だとペンで紙に書いてみせた。現在にいたるまで人々を魅了し続けている謎の主人公の登場である。字を書け、言葉を話すことはできたが、それ以外の多くの点でハウザーは文明から取り残されたかのようだった。彼の知性は全く発達しておらず、10代も半ばから後半に差し掛かっているというのに、木馬で子供のように遊んでいた。水とパン以外には受け付けず、肉にもアルコールにもコーヒーにも嫌悪感を示した。女性に裸にされて入浴させられたときにも、羞恥らしいものを見せることはしなかった。
彼が文明から取り残された理由は、彼は過去10年以上のあいだ地下牢に一人で監禁されていたからである。地下にあって小さな窓から光が入る彼の「檻」には、木馬とリボンが置かれ、それだけが彼のおもちゃであり友人であった。見知らぬ顔を隠した男によってパンと水が定期的に与えられ、時折髪が切られ着替えをさせられた。その男が話すことと字を書くことをハウザーに教えた。地下牢からニュールンベルクにハウザーが連れてこられたときが、その男以外の人間にあった最初だという。
この驚異の物語の主人公の話は新聞に取り上げられ、彼の名前はヨーロッパにとどろいた。イタールがヴィクトールを教育したように、彼を教育し庇護しようという人物が次々と現れた。しかし彼が自伝を書くという評判が立ちはじめると、彼の暗殺が試みられた。暗殺者は一度目は失敗したが、二度目には成功した。その犯人はついに分からずじまいだった。彼はバヴァリア王の息子で王位継承の政治に巻き込まれて抹殺されたのだという説、自作自演の一大詐欺だという説、さまざまな説が入り乱れ、今でも憶測は尽きない。