アメリカの人口政策

 未読山の中からアメリカの戦後外交における人口政策を概観した論文を読む。文献はSharpless, John, “World Population Growth, Family Planning, and American Foreign Policy”, Journal of Policy History, 7(1995), 72-102.

 1960年代からアメリカは第三世界における死亡率と出生率の双方を下げる政策を掲げた。外交を通じて世界の人口構造を変えようという方針である。私は人口政策の歴史は全く無知だが、これに対応する時代や国家はちょっと思いつかない。バイオパワーが外交と国際政治に持ち込まれたのである。

死亡率の低下は長いこと帝国主義列強が自国の植民地に対して行おうとしたことであった。しかし出生率を低下させることは、戦前にはアメリカにおいてもヨーロッパにおいても考えられない政策であった。アメリカ・ヨーロッパのほとんどの国において中絶はおろか避妊すら非合法であった。(厳密に言うと避妊具を配布することが犯罪だった。)この論文にはそのあたりの事情は丁寧に書いていないが、バースコントロールをめぐる政策と思想はわずか数十年で180度の転換をした。そして発展途上国も先進国もバースコントロールの<政策>に関しては、両者にありがちなタイムラグなしで、ほぼ同時に出生制限の時代に入った。

人口政策ということで、しばらく前に柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言について気になっていることがあるので、ちょっとだけ無駄話を。誰がどこでという形で特定はできないが、この発言を批判した人たちは、柳沢大臣の意識は「遅れている」ということを何となく前提にしているという印象を持った。彼が70歳を超える年齢であり、ホリエモンのようにTシャツでTVに現れるわけではないので、「頭が固くてフェミニズムによる意識の変革についていっていない老人」というイメージを、社会党の福島党首などは作り上げようとしていたように思う。そして、それがこの女性の思惑にしては非常に珍しく、教養ある国民の多くが受け入れることになった、というのが私の印象である。

 柳沢発言は本当に「遅れている」のだろうか?たしかに過去の帝国主義国家は出生率を上げようと血眼になっていた。いわゆる母性運動である。しかし、その政策を担当する政府の部署の責任者が、「女性は産む<機械>である」と発言する事態を、私は想像できない。20世紀前半に展開された母性運動とは、出生率向上を通じて女性の地位を上げ、当時のフェミニズムの一部とも結びついて、「女性に社会的な役割と、それを担うにふさわしい人格を与える」運動だった。女性は「産む機械」ではなく「産むことを通じて人格を獲得する」と考えた思想だというのが、母性運動の眼目だと私は理解している。しかしこれは大きく間違っているかもしれないから、専門家の皆さんのご意見を伺いたい。

 それが正しいとすると、柳沢発言は過去の葬り去られた思想と政策の遺物ではない。柳沢大臣は未来からやってきたターミネーターだと考えたほうが適切なのではないだろうか?ターミネーターだとしたら・・・それはめちゃくちゃ手ごわい。