憑き物持ち筋

 憑きもの持ち筋の家系の人物が書いた狐つきの研究書を読む。文献は速水保孝『憑きもの持ち迷信 その歴史的考察』(東京:明石書店、1999)

 コレラと狐つきに何か重なる部分がないかと文献を読み漁っていたときに請求した文献が未読山から出てきた。読み始めたら面白そうだったので目を通す。

 狐つきは、「憑き物持ち」である人間が、ある人間に狐を憑かせるという基本的な構造を持っている。そして「憑き物持ち」という特徴は家系を通じて伝えられ、その家系に生まれた人間は、同じ憑き物持ちの家系の人間としか結婚できないという。島根県では明治維新はおろか戦後においても「憑き物持ち」の家系の特別視が残り、この書物の著者も少年時代にその優秀な成績と家の豊かさが狐のせいだと友人たちにいじめられ、長じても結婚を反対されるなどの苦難を味わった。島根県庁に勤務していた彼が、島根県の迷信・差別撲滅運動の一環として行った研究をまとめたのが本書である。地方によっては人口の一割が「憑き物持ち」というようなところもあり、著者の父親はその家系のことを「わが党」と言っていたくらいだから、心配になってしまう近親結婚はそれほど弊害はなかったのかもしれないが、戦後の一時期、精神医学者をはじめ医者たちが、近親結婚にすさまじく神経を尖らせたことがあったので、島根県の迷信撲滅運動も、それと関係あるのかしら。

 戦中の東大で歴史を勉強した著者は、社会経済的な議論を組み立てる。江戸時代の農村への貨幣経済の浸透にともなって、急速に上昇して有力な地主になった家に対するねたみと、その上昇によって没落した農民たちの怨讐が、「あの家は憑き物持ちだ」という迷信になるというシナリオ。私にはこの説明が当たっているかどうか判断する資格はまったくない。そんなものかなあと思うだけだけれども、社会的弱者の心理に奉仕する思想体系が数百年も村の大きな構造であり続けたというのは、ちょっと「本当?」という気持ちにさせる。