匂える園2


暫く前にバートン訳を英語で読んだ『匂える園』のフランス語訳からの日本語への重訳がアマゾンの古書で300円で出ていたので買ってみた。青弓社から出ている立木鷹志の訳。

これはもちろんコーネル大学出版局から出ている127ドルするオリジナルからの訳とはほど遠い。訳者もそれは承知している。翻訳の底本は悪名高いフランス語訳。1850年代にアラビア語の色々な写本を持ち寄って翻訳―というか「合成」と言ったほうがいいだろう―されたフランス語版に、さらに1886年にイジドール・リゾが「脚色」したもの。「作られたオリエント」を絵に描いたような話だから、メイキング・オヴ・「匂える園」の話は、きっと既に研究されていると思うけど。これだけ合成されてマニュピレイトされたテキストだと、オリジナルとあとから混入したものを推量して区別するのがちょっと楽しい。例えば『匂える園』の以下の二つの部分はどうだろう。

1 「しかしこうして逡巡している間にも、姫の下腹の辺りは、快楽の予感に痺れ、身体はいつでも快楽を受け入れるべく濡れ始めていました。」(1章)
2 「断食は長すぎると性欲を弱めるが、習慣どおりであれば、性欲を増す働きがある。脂肪分の多い飲み物は控えるべきである。長い間習慣にしていると、性欲を衰えさせる働きがあるからである。」(7章)

いくらパスティーシュでブリコラージュなポストモダンか知らないが、この二つの文章を同じテキストに収めるというのは、かなり勇気がいる。2の文章は、その習慣の重視、同じ断食でも長さによって効果が違うというような差異化、そしてそのそっけなさ、これこそ本物の『匂える園』だと断言してもいい!(笑) ついでに言うとヒポクラテス「箴言集」の「断食は過度に渡ると害がある」からインスピレーションを得ているのかもしれない。 

ふと思いついたのだけれども、日本文化の古典のテキストでも、このように合成されて海外に伝わっているものはあるのかしら?これはある一人の日本人が書いたものだが、新渡戸の『武士道』が、色々な時代の日本の道徳理念をつぎはぎして一つの道徳を作っているという意味では一番近いかもしれない。でも、とりあえずそれは日本人が自己弁護で書いたものだし。