医学と統計学

 医学と統計学の歴史の論文を読む。文献はMurphy, Terence, “Medical Knowledge and Statistical Methods in Early Nineteenth-Century France”, Medical History, 25(1981), 301-319.

 医学が統計学の方法を取り込むのは比較的遅かった。疫学や医学地誌的な文脈での統計の利用は比較的問題がなく、18世紀の末から19世紀の初めには既に受け入れられていた。それぞれの行政単位の死亡率、出生率、コレラの死者数などを知ることは、公権力が社会に対して有効な処置を取るための基礎になるという新しい権力の枠組みは、スムーズに医者たちに受け入れられた。厄介だったのは、個人を相手にした治療に統計学の手法を取り入れるかどうかという問題である。個々の患者と医者が作る臨床経験を重視しようとした医者たちは、患者は統計的な数に還元できないという理論を組み立てた。医学の理論の部分は確かに科学である。しかし臨床・治療の部分は、無限に変化しうる患者の状況によって、個々の医者が微調整しなければならない「アート」であるという、古典古代以来の医学につきまとっていた問題である。そこに統計的な思考法を導入することは医学の本質の否定であるという。1830年代に科学アカデミーと医学アカデミーで、この問題が論議を呼んだときにも、統計推進派と否定派の勢力は拮抗していた。生理学を物理学の実験の方法に合わせて革新することを唱えたクロード・ベルナールは、実験からの推論に厳密さを要求し、個々の実験例で得られる決定的な因果関係を捜し求めたので、かえって統計的な方法には冷淡だったという。

 この論争が起きた時代のプリミティヴな医学の状況はもちろん現在では完全に乗り越えられている。腸チフスには瀉血よりも下剤の方が有効だということが統計的に証明されたという<真理>が、統計推進派のエースであったピエール・ルイらによって報告されている時代である。(えっと、お医者様の皆さま、この問題、本当のところはどうでしょう?腸チフスの患者に下剤をかけるのと、ヒルで吸わせて瀉血するのと、どちらが「有効」だと思われますか・・・?)しかし、医療の中で、科学や規則として画一性がなければならない部分と、画一性よりも患者の個性と医者の自由度があったほうがいい部分があるという当時の考えは、現在でも生きているような気がする。特にそれが顕著なのは<医療倫理>の領域だろう。