ロシアの医療職

 ついでに、同じ著者のロシアの医療専門化についての論文を読む。文献はFrieden, Nancy, “Physicians in Pre-Revolutionary Russia: Professionals or Servants of the State?”, Bulletin of the History of Medicine, 49(1975), 20-29.

 こちらの論文は<ゼムストヴォでの雇用>が、ロシアの医者たちにとって誇りであったのは何故か、という問題を扱っている。1900年ごろにゼムストヴォに雇用されている医者はロシアの医者の15%しかいなかったにも関らず、ゼムストヴォの医師はロシアの医者にとって大きな誇りであった。人民を理解し、人民とコミュニケートすることができ、流行病の時には生命を危険にさらす仕事に携わる医者たちに、ロシアの医者たちは最高の賛辞を送っており、それはしばしば自賛でもあった。しかし、この雇用形態は、当時のイギリスやフランスの基準で言うと、非医師に雇用される公僕という極めて隷属的なものであった。なぜロシアの医者たちは、この隷属的な地位に希望を託したのだろうか?

 もちろん、自由主義ナロードニキのイデオロギーの影響もある。ゼムストヴォは、農奴解放と並んで、もともとクリミア戦争の敗戦の後の自由主義的な改革の産物であり、「人民の中へ」を唱えたナロードニキのイデオロギーが、教育を受けた医者たちに影響を与えていたことも重要である。しかし、ゼムストヴォに属することは、それまで医者の主たる雇用者であった国家に、軍医、鉱山医や監獄医などとして奉仕するよりも、はるかに明るい展望をロシアの医者に与えてくれた。「国家かゼムストヴォか」という選択を迫られていたロシアの医者たちは、ゼムストヴォを選んだというわけである。この背後にはもちろん、医療の市場が絶対的に小さく、開業に基づく医療職の自立を不可能にしていたという事情がある。1862年にはロシアでは人口8000人に対して一人の医者しかいなかった。単純な比較はできないが、明治初期の日本だとこの数字は1000人に一人前後である。