古代中国のヴィタミン欠乏症

 未読山の中から古代中国のヴィタミン欠乏症についての短報を読む。文献はLee, T’ao, “Historical Notes on Some Vitamin Deficiency Diseases in China”, Chinese Medical Journal, 58(1940), 314-323.

 ヴィタミン欠乏症の歴史は研究が進んでいない分野である。行政的な記録が作られることが多い流行病と違って、古い時代のV欠乏症は当時の印象論的な記録に頼らなければならず、立体的な像を描くことができるような資料の厚みがないことが多い。近代以前の日本だと、江戸に脚気が多かったとか、蝦夷地の対ロシア防衛の駐屯地で壊血病が起きたとかいう記述はあるが、深い分析をした例を見たことはない。この論文もまあ似たようなもので、中国の伝統医学の膨大な書物から夜盲症、脚気、くる病の三つにあてはまるものを拾ってならべた論文。必ずしも論文自体が面白いわけではないが、まずこういう情報から頭に入れないと。

 議論は簡単。20世紀の研究に基づいて、当時の北中国の食事は、カロリーは十分だがたんぱく質が足りないこと、ヴィタミンで言うとBとCは足りているがAとDが足りないことを論じ、Aの欠乏に由来する夜盲症、B1の欠乏に由来する脚気、そしてDの欠乏に由来するくる病の歴史を探っている。夜盲症は7世紀には正確な臨床的な記述がされ、豚の肝臓が効くとされる。これは結構あたっているのだそうだ。脚気は華南の揚子江流域が開発されて米の大量生産が可能になって、精米を食べ始めた時に観察されるようになった。当時の中国の医者は米が原因だとは気づいていなかったが、江南地方への移住者に多いことには気づいていた。くる病は、『詩経』にそれらしい記述があるが、正確な臨床的な記述は3世紀だという。

 私にとって新しかったポイントを一つ。マクニールは揚子江流域が開発されたときに中国の農民が立ち向かわなければならなかった疾病として、マラリア、デング、住血吸虫を挙げている。寄生虫系の開発原病だけじゃなくて、文明病としての脚気もあったんだ。