検疫と国民国家

 オーストラリアの検疫を論じた論文を読む。文献は、Bashford, Alison, “Quarantine and the Imagining of the Australian Nation”, Health, 2(1998), 387-402.

 この20年くらい、オーストラリアはブリリアントな医学史研究者を続々と輩出しているが、その中でも注目されている論客が Alison Bashford である。洗練されたフーコー流のヒストリオグラフィ、独創的な視、緻密なリサーチに基づいた議論、クリスプな文体。彼女が書いた書物や論文はできるだけ集めているが、どれも水準が高い。

 この論文は、後の論文集で発展させるテーマを素描したもの。中心的なテーマは、細菌学の科学に支えられた検疫という医学上の方策が、オーストラリアの国民国家形成のレトリックに大きな貢献をしたというものである。地理上の境界を作ることで、自己と他者の双方を作り出して、清潔純粋なオーストラリア市民と、感染源である他者を作り出そうとしたという議論である。これは移民の制限とも重なって、人種政策、特に白人オーストラリア主義の政策とも重なっていた。非常にクリスプに論じられていて読んでいて気持ちがいいけれども、この視点自体は常識的なものである。

 とても重要な新しい視点が二つ。一つは1901年にAuがイギリスの植民地からコモンウェルスになり、検疫を独自に行うようになったときに、ヨーロッパ諸国においては検疫の重要性が低下していたという指摘である。検疫をめぐる各国の思惑の違いと外交的な交渉というのは重要な問題だが、日本とオーストラリアが検疫の黄金時代に同時期に入ったという事実は、私は気がつかなかった。もう一つは、検疫が持つ時間性の問題である。検疫が地理的・空間的な境界設定であって、それが色々な社会・文化・イデオロギー的な意味を持っていることは、もうわかっている。それと同じくらい重要だけれども、歴史学者たちがほとんど取り上げてこなかったことは、検疫というのは生活や旅行や商業の時間のリズムに介入する行為であったということである。昔なら40日、1900年当時ならは数日の時間的なブロックが、人々の生活時間に挿まれるのである。この時間の規制の側面はほとんど研究されていない。