医学と対抗文化

 同じくラウトレッジの『20世紀医学史入門辞典』から、「医学と対抗文化」の章を読む。 文献は、Saks, Mike, “Medicine and the Counter Culture”, in Roger Cooter and John Pickstone eds., Companion to Medicine in the Twentieth Century (London: Routledge, 2003), 113-123.

 先日の話題は、20世紀の後半の発展途上国で西洋医学のヘゲモニーが拡大深化したという話だったが、同じ時期に先進国、特にアメリカとイギリスでは反対向きに見える状況が現れた。正統医学に対する、「オールタナティヴ」な医療の爆発的な進展と定着である。この著者も触れているが、正統の医学とは何かということは難しい問題である。私個人は、20世紀の医学史はこれから勉強するところだということもあるが、医療社会学者や医療人類学者が口を揃えて<生物学的医学 biomedicine>と呼ぶものが、実はカテゴリーとしていまいちピンとこない。

 19世紀の後半から20世紀の半ばにかけての時代は、正統医療の勝利の時代であった。イギリスでは1858年の法律で、正規と非正規の医者の区別が法的に定義付けられ、法的根拠を非正規の治療者たちの数と勢力は漸減していった。1911年の国民保険法も、正規の医者から受けた医療費だけをカバーするものであり、非正規の治療者の経済的な基盤を理論上は奪うものであった。19世紀の末から20世紀の半ばにかけての細菌学の発展、外科の発展、抗生物質や化学療法の発見などの輝かしい医学の進歩が相次いだ。マスメディアは医学の発展こそが人類の幸福の鍵を握っていると喧伝し、医学上の発見を書きたてた。1960年代にイギリスの医学校で学んだある学者は、「教授から後光が差しているように見えた」と回想している。

 皮肉なことに、まさにこの医学の黄金時代に「対抗文化治療」というカテゴリーが作られる。1960年代には、医療訴訟などのチャンネルを通じて「医者と患者は敵対する存在である」という図式が形成され、医者は限定的にしか関与していない患者の自助グループの形成が進む。医者団体に対抗して患者団体が形成されたのである。一方、この時期の「ニューエイジ」の思想は、非西洋の思想や文化へと人々の興味を向け、ヨガとか鍼灸とかネイティヴ・アメリカンの医療などを「ホリスティック」「ナチュラル」という形でまとめあげ、還元主義的・機械論的で非人間的な生物学的西洋医学と、ホリスティックなオールタナティヴ医療という、首尾一貫したレトリックの対抗軸を打ち立てた。鍼灸とネイティヴ・アメリカンの薬草学を、近親的な医療システムにしたのは、このレトリックであった。このように「まとめあげられた」オールタナティブ医療は、規制された専門職というより、開かれた市場ベースの医療サービスに経済的な基盤を持ち、正統医療における患者の受動性と対比させた「アンガージュマン」を強調するものであった。それに対して、正統医療のほうは、オールタナティヴ医療には科学的な根拠がないという激しい批判を繰り返してきたが、1980年代にアメリカ医師会がカイロプラクターの協会に敗訴したことが象徴するように、マーケットからオールタナティヴを締め出すことができなくなってきた。このエピソードは realmedicine さんにご紹介いただいた。 

 しかし、この対立的な図式は事態を的確に捉えていない。オールタナティヴと正統医療は、背反的なものではなく、症状ごとに使い分けられている。例えば鍼灸は伝統医療における病気全般に対する治療ではなく鎮痛用の療法という限定的な使われ方をしている。あるいは、正統医療の治療者たちも、実践ではこれらの療法を部分的に取り入れる動きが見られる。この基本にある現象は、医療サービスのマーケットが拡大した結果、消費者の選択が増える方向に医療が動いたということである。その上で、正統医療とオールタナティヴ医療が、アヴェイラブルな医療サービスのスペクトラム上で共存し、その境界が部分的に曖昧になっているというのが現在の状況である。

 これから、日本でも、世界でも、どうなるんでしょうかね。医療サービスのマーケットは、いつまでも安定的に拡大はしない。その時に何が起きるんだろう。それからもう一つ、私は1963年生まれだが、私よりも少し上の世代の、何て言えばいいのかな・・・ インテリで少し左がかった女性たちの中には、熱烈かつ排他的なオールタナティブ医療の支持者が多いような気がしているけど、これは本当だろうか、そして、本当だとしたら、なぜだろう?