大久保清

 必要があって、連続女性強姦殺人事件の大久保清についてのルポルタージュを読む。きっとたくさん類書があるのだろうけれども、『津山三十人殺し』が名作だった筑波昭が書いたOH!文庫を読んでみた。 

 事件の概要は良く知られているだろう。1971年のわずか数ヶ月の間に、前橋市、高崎市などを中心に、画家とか美術教師とか偽って無差別に女性に声を掛け、多くの女性と関係し、うち八人を強姦して殺害した。本書でも触れられているが、メディア・スクランブルがあって、マスコミの大騒ぎをTVなどで見た微かな記憶が私にもある。

 筑波のこの書物は、津山事件を描いたものほどの傑作ではないと私は感じたけれども、やはり水準が高い。津山三十人殺しのルポルタージュと同様に、筑波の記述の基盤は調書であり、無数のインタビューなどの可能性があったことを考えると、これはむしろ禁欲的ですらある。取調室で展開される大久保と捜査官のやりとりと駆け引きの淡々とした記述が、一番読み応えがある部分だった。警察に代表される公権力に対して大久保は激しい恨みを抱いており、そしてその恨みゆえに、警察官や検察官の娘を強姦して殺害することに至っていたという説明がされる。そして大久保は、自分が死体を埋めた場所を知っているという絶対的な強みを持っていることに気づくと、それを自白するかどうかを権力との闘争であると解釈しなおすしたたかさを持っていた。このあたりはたっぷりと描かれていて、面白かった。しかし、権力との闘争としての強姦殺人というのが、取調室で思いついてアドリブで発展させられ死体の在り処の自白がその道具として使われたのか、もともと大久保の人生に深く根ざしていたのかというのは、どちらか分からない。私が読んだ印象では(そして筑波の書き方も)、どちらかというと前者を示唆しているような気がするのだけれども。