疾病ゾーンとしてのインド洋

 必要があって、グローバルな疾病史の古典的な論文を読み直す。文献は、Arnold, David, `The Indian Ocean as a Disease Zone, 1500-1950,' South Asia, 1991, 14: 1-21. 

 グローバルな疾病史を打ち立てた古典的な研究書が二冊ある。マクニールの『疫病と文明』、そしてクロスビーの Columbian Exchange である。(後者の翻訳はないが、ほぼ同じ内容が、岩波から翻訳が出ている『ヨーロッパ帝国主義の謎』に盛られている。)マクニールの書物は主にユーラシア大陸を扱い、クロスビーは大西洋の両側にあるヨーロッパ・アフリカと、南北アメリカ大陸の双方を包み込んだ巨大な地域を疾病ゾーンとして考察している。
 
 二人のうちクロスビーは、大西洋という巨大な防疫線によってヨーロッパ・アメリカの疾病環境から隔てられた南北アメリカ大陸が、コロンブスによる「発見」以降、旧世界の疾病環境の中に組み込まれた状況を記述している。アメリカ大陸にそれまで存在せず、原住民が免疫を持っていなかった病気が次々とアメリカ大陸に導入された。ヨーロッパからは天然痘や麻疹が、アフリカからの奴隷貿易のルートに乗ってマラリアや黄熱病がもたらされた。これらの病気は人類史上で最悪と言われる感染症による殲滅を引き起こした。比較的人口の実態が分かっているメキシコでは、16世紀から17世紀にかけての1世紀間で、人口は十分の一になったとも二十分の一になったとも言われている。カリブ海の島々の原住民はほぼ全滅した。大西洋の疾病ゾーンは、それが形成された当初から、南北アメリカの原住民に圧倒的な負荷がかかるような構造になっていた。

 この論文は、この大西洋の状況に対して、インド洋の疾病ゾーンはどうなのかと問うたものである。著者は、現在では植民地医学の歴史研究の大御所となったアーノルド。こちらでは、ヨーロッパ人の進出にともなって原住民が病気によって殲滅されるというわかりやすい事態は起きていなかった。むしろ、ヨーロッパによる植民地開発の初期においては、移住したヨーロッパ人のほうに重い負荷がかかっていた。いわゆるリロケーション・コストである。ここでヨーロッパが果たした役割は、植民地経営と開発がもたらした商業と移民を通じて、インド洋の沿岸の相互の結びつきを強め、濃厚に感染を伝播しあう一つの地域を作り出したことである。カルカッタ、ボンベイ、ケープタウン、シンガポール、香港など、イギリスの帝国主義の拠点となった港町が重要な役割を果たした。これらの起点から別の港町へ、あるいは起点から内陸へと、疾病が伝播していくことになった。19世紀のコレラ、1890年代から20世紀のペストなどの重要なパンデミーの舞台は、このように作られたのである。