東大精神科病棟

 必要があって、東大医学部の精神科闘争のルポルタージュを読む。文献はサンケイ新聞社会部東大取材班『ドキュメント東大精神病棟』(東京:光風社、1978)

 昭和43年の1月の登録医制度への反対に端を発する東大医学部の精神科におけるストライキは、10月に精神科医局の解体を唱える東大精神科医師連合(精医連)が結成され、激しい闘争へと発展した。精神科闘争は、大学全体の闘争が44年1月の安田講堂の陥落以降、鎮静化の方向に向かうのと逆行して、むしろ激化した。精医連は、当時の精神科の教授である台弘(うてな・ひろし)がロボトミーを行ったことを人体実験として激しく批判し、台のもとでの授業の再開に反対し、これを妨害するために精神科病棟での実習を阻止する実力行動に出た。精医連は、病棟の自主管理と称して、反対派のスタッフや医師たちが、病棟に入ることや病棟の患者にアクセスすることを拒否した。8年後の昭和53年1月になってもこの状態は続いていた。本書の執筆者であるサンケイ新聞の記者たちが取材を始めた頃には、この改革運動・闘争は、「占拠」以外の何者でもなくなっていたのだろう。闘争初期のリーダーたちは去り、闘争が方向を見失って完全に形骸化しているのが明らかな時期であった。当事者であり精医連の委員長であった精神科講師の石川清自身が、記者のインタヴューに応じて、ろくな医療は行っていないこと、病棟に出入りして患者の治療にあたる医者として使い物になるのは三分の一程度だと自嘲的に述べている。(この箇所を読んだときには、石川の医師としての良心に触れた想いがしてほっとした。)サンケイのキャンペーンに応じて、国会と文部省も動き出し、紆余曲折を経て昭和53年に精神病棟の占拠は解消されることになる。

 この問題については、この本の要約以上のことは、勘弁してくださいな。