未読山の中から、ヨーロッパ中世の恋の病についての研究書・テキストが出てきたのでさっと目を通す。時間があったらもっとゆっくり読みたい、味わい深い本とテキストなのだけれども。文献は、Wack, Mary Frances, Lovesickness in the Middle Ages: The Viaticum and Its Commentaries (Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 1990).
「恋の病」 lovesickness は、現代では比喩的に使われる。恋をして苦しいからといって医者に行こうとする人はごく少ないと思う。現代医学でも「恋の病」という病気は(たぶん)ない。南山堂の医学辞典を見ても「恋」という項目はない。このブログを訪問してくれるお医者さんたちも、「私、恋をして苦しいんです」と訴える患者を診たことはないと思う。
しかし中世から近代のヨーロッパでは、少なくとも医学教科書の中では「恋の病」 lovesickness は長いこと独立した診断のカテゴリーだったし、その病気を扱ったモノグラフも出版されていた。「恋の病」は医学の中の正当な病気のひとつであった。この概念が生きていた時代のヨーロッパで、人が苦しい恋をしたときに、医者に「よく」行ったかどうかは分からないけれども。
この書物は、独立した病気としての「恋の病」という概念の起源を問い、その初期のテキストをラテン語と英語の対訳で掲載したものである。医学理論や生理学の中で「恋」を扱うことは、ガレノス以来のギリシア医学からあったが、それが独立した病気となったのは、アラビア語の医学書の中であったという。そして11世紀にヨーロッパに初めて洗練されたギリシア医学をもたらしたコンスタンティヌス・アフリカヌスが、サレルノの医学校で教科書として用いるためにアラビア医学を抜粋してラテン語訳したViaticum と言いならわされるテキストに、はじめてこの概念が現れる。Viaticum はそれ以降の中世医学のコアテキストになったから、このテキストへの注釈が数多く作られ、その過程の中で、恋の病についての医学的言説が蓄積されていく。「恋の病」は中世のアラビアで形成され、スコラ学の装置の中で造られた疾病概念だった。 私はこのことを全く知らなかった。私の無知はいつものことだけれども、この無知はちょっと深刻である。いつもよりも激しく不明を恥じる。
病気であるから当然治療法が書いてある。主に売春婦との性交、ワインを楽しく飲むこと、入浴すること、そして薬草などが主たる治療法である。薬草はエンダイブ、スイカヅラの根、タンポポ、バジルなどを混ぜて煮出したものである。現代の感性からすると、恋の病に<売春婦との性交>を処方するというのは強烈な違和感がある。それで治る恋の病は本物の恋ではないような気がするのは私だけではないと思う。薬草で恋の病を治すというのもかなりの違和感がある。バジルを煮出したお茶を飲むと治ってしまう恋の病・・・どこか違う(笑)。
冗談はともかく、恋の病がインシュリンショック療法で治ると喜んだ昭和の精神医学者は、歴史の中で孤立した事例であるとか、新しい現象ではないことが分かったのは、ひとつ賢くなった。