ポン=ヌフの虫歯抜き

 昨日紹介したコリン・ジョーンズが、18世紀のパリの歯医者について書いた面白い論文を読む。 文献は、Jones, Colin, “Pulling Teeth in Eighteenth-Century Paris”, Past and Present, No.166(2000), 100-145. 博識と洞察を軽々と身にまとった、軽妙に見えて実は独創的で重要な論文である。全くの偶然なのだけれども、先日 quianyumiko さんが日経の記事をもとに歯抜き医者の記事を書いていた。 

quianyumiko さんの記事はこちら http://blogs.yahoo.co.jp/qianyumiko/18947153.html

 この論文には主人公がいる。18世紀の前半のパリの歯医者―というか虫歯抜きと言ったほうが適当だろう―であった、自称「大トマス」(le grand Thomas) である。人の三倍あるといわれた巨大な体躯に、セーヌ川の向こう岸に届くような大きな声、金の飾り縁がついた緋色のコートを羽織り、クジャクの羽飾りがついた巨大な三角帽子を被り、腰には鷲の飾りの柄がついたサーベルを差していたという。目にも留まらぬ早業で虫歯を抜く「大トマス」は1710年代から50年代にわたって、さまざまな物売りが妍を競うポン=ヌフの名物であった。彼を記録している同時代の文章も多いという。この虫歯抜きの成功の背景には、言うまでもなく、植民地から大量に原料を輸入して、人々の生活に浸透した商品である砂糖やチョコレート飲料の普及を背景に、ヨーロッパの虫歯は深刻な問題になっていたことがある。 

 「大トマス」は1729年にちょっとした事件に巻き込まれている。ルイ15世のお世継ぎが誕生したときに、パリは祝祭に浮かれたが、「大トマス」もお祭り騒ぎの先頭にたち、二週間の間、無料で虫歯抜きのサービスを提供するといった。さらに、ソーセージを600本用意した大盤振る舞いを約束した。しかし、騒動を恐れた警察がこのソーセージを押収したため、翌日ご馳走を期待して集まった群集の怒りを買い、彼の家は約束のソーセージを求めて暴徒と化した民衆に破壊されたという。このエピソードは、当時の政治的緊張と、「大トマス」のシンボリックでカーニヴァレスクな「民衆的な慈善と飽食」の枠組みで理解されている。

 一方、当時は科学的な歯科医学と呼べるものが成立していた時期であった。1728年にPierre Fauchard がはじめて dentiste という言葉を作り出すが、フォシャールの著作は、歯についての医療を、これまでの秘密の処方と習慣・口承の技能から、出版されたテキストに基づいた科学的な専門性の領域へと変えた。フォシャールにとって「大トマス」のような虫歯抜きは、コメディア・デ・ラルテの巡回芸人が片手間にやる虫歯抜きと同類の輩である。一方、コメディア・デ・ラルテや大トマスの虫歯抜きは、権威主義的な学問的な医学のパロディになっている。民衆文化とエリートの文化の二分法に基づく史観によれば、「大トマス」のような虫歯抜きは、「民衆の歯医者」なのである。 

 ジョーンズはこの手の医療民衆文化論に与さない。 かつてのホイッグ史観を逆転させて、これまでネガティヴに評価されてきた「迷信」を「民衆的」なものとして持ち上げるバフチン流の「民衆文化論」を警戒している。大トマスとフォシャールはそれほど違うわけではない。大トマスは軍医出身でパリのオテル=デューで訓練も受けて、開業の許可まで持っていた外科医であった。ジョーンズは両者の対立を、衆人環視のもとで虫歯抜きを行うのか、それとも専門家と患者の閉じられた世界で治療を行うのかという対立であると理解して、フーコーが『監獄の誕生』で論じた二つの権力に違いであると論じている。そうなのかもしれない。

 この論文は、エリアスの宮廷社会のリヴィジョンで終えられている。フランスの宮廷は「歯科衛生」の先陣を切ってはいなかったという。