芍薬の首飾り

 18世紀のロンドンの売薬の販売の研究を読む。文献はDoherty, Francis, “The Anodyne Necklace: a Quack Remedy and Its Promotion”, Medical History, 34(1990), 268-293. 緻密で丁寧なリサーチに基づいて洗練された分析がされた論文である。

 18世紀のロンドンで特に有名だった「いかさま治療薬」に芍薬の首輪がある。シャクヤクと言っても根のほうで、これをネックレスにして首に掛けておくと、万病が治るというものである。いかさま治療薬ではよくあることだが、これはまんざら何の根拠もない無知な民衆の俗信というわけではなく(科学的な根拠ではなくて文献的な根拠の話だけれども)、ガレノス以来の由緒正しい予防法だそうである。特に人生において最も死亡率が高い時期の一つである離乳期の乳児に使われたという。18世紀のロンドンで、この首飾りがAnodyne Necklace として売り出されて、さまざまな手段を用いて販売促進が行われた。当時の新しいメディアであった新聞に広告が出され、出版社と結びついてパンフレットが書かれ、当時の新しい社会空間であったコーヒーハウスの経営者が、売薬の販売にかかわった。売薬の患者の体験談が記された広告が出され、人々の身体や健康に関する不安が巧みに操縦されて販売促進に結び付けられた。性病についてのパニックが起きれば性病に効くことになり、マルセイユでペストが流行すればペスト予防にもなり・・・というように、機を見るに敏なコピーライターが活躍する場であった。

 当時の最先端のメディアを用いたこういった激しい販売促進活動の結果、この薬は人々に受け入れられ、いかさま治療薬として確固たる地位をしめるようになり、派手な広告は姿を潜めるという。そうすると、広告をしなくてもコンスタントに売れるようになるということだろう。

 ちょっとだけ研究の話をさせてもらうと、だから、薬の広告を分析の素材に使うときには気をつけなければならない。実際に人々に使われている薬と、盛んに広告されている薬は必ずしも一致しないどころか、もしこのシャクヤクの首飾りのパターンを一般化できるとしたら、広告におけるプレゼンスが大きい薬は、人々にまだ受け入れられていない薬ということになる。昭和13年の色々な売薬の利用を見ているが、当時実際に使われていたベストセラーの薬の多くは意外に広告をしていない一方で(もちろんメンソレータムのような例外もあるけれども)、派手な広告を出している薬が実際には使われていない。これは気になっていたけれども、広告されているということはむしろ受け入れられていないことの証拠だと考えると説明がつく。