『奇想の系譜』


 近く京都の相国寺若冲展を観に行く。その準備も兼ねて、前から読みたかった辻惟雄『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫、2004)を読む。 

 今から四十年近く前に、江戸の絵画についての斬新な解釈を出した書物とのこと。当時のアカデミックな日本美術史であまり知られていなかった作家たちの作品を発掘して紹介している。残念なことに図版の殆どが白黒だが、解説は臨場感にあふれ、どの作品も、オリジナルを見たい、少なくともカラーで見たいと思わせる筆致で分析されている。

 岩佐又兵衛狩野山雪伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪歌川国芳が取り上げられていて、私はどの作家についても何の知識もなかったのだが、やはり著者の専門である岩佐又兵衛の絵巻物、「山中常盤」「上瑠璃」などの分析が一番迫力があって読み応えがあった。唐竹割りに真っ二つにされた肉体が作るグロテスクなフォルム、「官能を直接ゆさぶるような生々しい卑俗さ」「ぬらぬらと竹の幹にまといつき、何やら爬虫類めいた妖気を漂わせている [ トラ ]」、「菊を賞でる高貴の女性たちの顔になんとも淫蕩な表情が隠されている」「多分にアンダー・グラウンドの色彩を帯びた」「騒々しく猥雑な一幕のファルス」「暗い情念のぬめり」のように形容される絵画の美術史的な分析である。 

 そして、歴史学者にとって一番はっとしたのは、これらの特徴が、血とセックスの匂いがする乱行で有名な越前の松平忠直(私は読んだことがないが、菊池寛が小説にしているそうである)に又兵衛が仕えていた時期に発展させられたものだという指摘である。忠直卿の城は、マルキ・ド・サドの城だったのだろうか? 

 画像はMOA美術館所蔵の「山中常盤」 MOAの説明より。 <江戸時代初期、前代に盛んであった操浄瑠璃を絵巻物化することが、諸大名間で流行した。十二巻揃の山中常盤もその一例で、義経説話に基づく作品である。奥州に下った義経を訪ねて、都を旅立った母の常盤御前が山中の宿で盗賊に殺され、義経がその仇を討つという筋書きである。常盤御前が東下りをする情景描写に、ひとりの画人を想定しなければ考えられないほど統一ある構成力がみられることや、人物描写に豊頬長顎の女性の顔など独特の癖が随所にみられることから、十二巻という大作にもかかわらず、大半が勝以の手になるものとみることができる。津山、松平家伝来。>