必要があって、モダニズムと心理学・精神医学の関係を論じた論文集を読む。文献はMicale, Mark S., The Mind of Modernism: Medicine, Psychology and the Cultural Arts in Europe and America, 1880-1940 (Stanford, Ca.: Stanford University Press, 2004).
いわゆるモダニズムの芸術・文化が同時代の心理学・精神医学と深い関係にあったことは良く知られている。フロイトが『夢判断』の冒頭で「これは芸術ではなくて科学である」と宣言していることは、人間の心、特に無意識に関する科学と、それを取り上げた芸術の親近性の裏返しである。(フロイトの精神分析は科学でも芸術でもなかったという考えがこのごろ優勢だけれども、そういう話はここではしない。)本書はこの両者の関係を個別の事例に即して精緻に分析した論文集である。
ミケーリはモダニズムと心の科学との関係を論ずる際の五つの「ガイドライン」を記している。芸術と科学の関係は双方向的であったということ、芸術に影響を与えた心の科学はフロイトだけではなく多くの学派があったということ、心理学・精神医学などという学問区分で分けて研究する方法は使えないこと、影響関係は個別的であり、作家や心理学者によって大きく違うこと、そして具体的な事例に沿って考えなければならないこと、である。ミケーリらしくどれも正鵠を射ている。
論文はどれも非常に水準が高いが、やはりミケーリ自身が寄稿している “Discourse of Hysteria in fin-de-siècle France” がやはり一番面白かった。ベル・エポックのフランスは「ヒステリーの時代」であった。フランスの医者にして文人のシャルル・リシェ(この医者を私は知らなかったのだが、彼の文明論は日本語にも翻訳されている)は、「マイルドなヒステリーはどこにでも見つかる」といい、モーパッサンは「我々は皆ヒステリーだ」といい、あるジャーナリストは「我々の時代の病気はヒステリーである」と言っている。このあたりの的確で質が高い博識を軽々と身にまとう筆致といい、そこから大きな特徴をエレガントに引き出す手腕といい、彼の先生のピーター・ゲイを彷彿とさせる。
この論文のハイライトは、「なぜ世紀末フランスでヒステリー概念がこれほどまで広まったのか?それはモダニズムについて何を教えてくれるのか?」という問いに正面から答えようとした部分である。答えは二つ用意されている。一つは、急速なピッチで進展した近代化と都市化がもたらした変化への不安を、ヒステリーという概念がうまくキャプチャーしたというものである。ヒステリー概念を本質的に保守的なものと見るこの考えは比較的新鮮だが、これは理由の説明というよりむしろ必要条件である。もう一つの答えの方が明らかに重要なものである。当時急速に実証主義に傾斜していた医学の中で、ヒステリー概念だけがモダニズムの本質と共鳴するものであったということだ。この時代の医学は、細菌学や実験室医学が象徴するように、堅固な実体を操作する実証主義的なものに急激に変化していた。一方でモダニズムは現実世界によって表象を基礎付ける試みに替わるものを追求する芸術運動であった。絵画においては外界の現実を写実的に描くという目的が放棄され、文学においては移ろいやすく多層的な心理を記述することが焦点になった。医学と芸術が乖離していく中で、医学とモダニスト芸術の結びつきを保ったのが、ヒステリーという疾患概念であった。当時の医者たちにとっても、ヒステリーは巨大な謎だった。それは心因なのか身体に原因があるのか、あるいはそれは病気なのか不適応なのか抗議なのか詐欺なのか。その特徴的な症状は、別の病気の「真似をする」ことであり、何かの実体に「ピンダウン」されることを原理的に拒む病気であった。「ヒステリーは、モダニズムそのものであった」というのが、長いことヒステリー論の若いトップランナーだったミケーリの「とどめの言葉」である。
ミケーリの議論が正しいのかどうかは私には今は判断できない。これから何度も読み返す論文になるだろう。