黒死病とイスラム教

必要があって14世紀のペスト(黒死病)に対するイスラム教地域の反応を、ヨーロッパ地域のそれと較べた古典的な論文を読み直す。文献はDols, Michael W., “The Comparative Communal Responses to the Black Death in Muslim and Christian Societies”, Viator, 5(1974), 269-287.

 14世紀の黒死病は主にヨーロッパの被害が有名だけれども、地中海のアジア・アフリカ側にも大きな被害が出ていた。当時の北アフリカから中近東にかけてはイスラム社会が成立していたから、同じ現象に対して、キリスト教社会とイスラム教社会がどのように異なった対応を見せたかを比較史の手法で調べることができる。比較史は上手に使えば面白いことが分る。この論文の比較の手法はごく単純だけれども、研究者の力量が優れているせいで、面白い結論を引き出している。

 キリスト教社会においては、流行地からの避難が一般的な対応であった。もちろん全域ではないが、鞭打苦行団やユダヤ人の迫害と虐殺など、メシア運動や社会のマイノリティへの攻撃が起きたことも特徴である。両者の対応の根底には、ペストを人間の罪に対して神が与えた罰とみなす思想があった。一方イスラム教社会においては、ペストは神が殉教者に与えた恩寵であると考える思想があった。そしてマホメット自身が流行地からの避難を禁じている一節があったため、流行地から短期的だが大規模な人口流出があるというヨーロッパとアメリカに見られる特徴はなかった。ついでにいうと日本ではおそらく「大量避難」という現象は見られない。そして感染説はイスラム社会では認められていなかった。

 これらの違いを筆者はイスラム社会においてはペストを恐怖する文化がなく、むしろ受け入れる文化があったせいだと書いている。そしてその一つの原因を、イスラム教が成立したのは、6世紀から始まるユスティニアヌスのペストが流行していた時代だったので、ペストへの対応が教義と思想の中に織り込まれていたせいだという説明を上げている。(この説明は私には説得力がなかった。流行病はペストだけではない。キリスト教が形成され定着していく過程は、地中海世界天然痘に襲われていた時代である。)イスラム教は、ペストに対して個人的な敬虔と儀礼的な<清め>で対応したのであった。

 色々な議論をかもす立論だろう。私には非常に参考になった。