色彩論

 訳書を頂いた。ひょんな事情で一緒に仕事をさせていただいたことがある訳者で、その時以来のファンだから喜んで最初の二章を読む。文献は、デイヴィッド・バチェラー『クロモフォビア-色彩をめぐる思索と冒険』田中祐介訳(東京:青土社、2007)。

 主な主題は西洋文化、西洋芸術の中で「色」が占めてきた曖昧な位置について。色彩は、芸術の構成要素として、形や線に較べて、常に低位に置かれてきた。色彩の氾濫は、合理性の喪失でもあり、美術が避けなければならない危険状態でもあった。私が特に面白かったのは、幻覚が色彩の氾濫であると捉えられていたことである。 オルダス・ハックスリーがメスカリン服用の経験を記した言葉と、詩人、芸術家でLSD常習者のアンリ・ミショーが「メスカリン体験」について書いた言葉を引く。

「薬を飲んでから半時間後に、金色の光がゆるやかに踊っているのに気づく。その少し後には、エネルギーの集中する明るい焦点から、規則正しく拡大する生命体の躍動のようにつねに揺れ動く豪奢な赤い面が生じた・・・ [ 書斎を見回すと ] 花のように本が明るい色彩を帯びて、意味ありげに膨らんだのだった。ルビーのように赤い本、エメラルドの本、白い宝玉にぎっしり覆われた本。瑪瑙の、アクアマリンの、トパーズの本。ラピス・ラズリの本はその色彩が強烈であり、複雑な意味を帯びていたため、本棚から飛び出して私の目の方にぐっと迫るかのようであった。」

「そこに<白>が現れる。絶対的な白。あらゆる白を超えた白。白の到来という白。白でないものを排除し、根絶した白。怒り狂った白に、白の叫喚。荒れ狂い、犠牲者を惑乱させる、強烈な刺激を帯びた白、無慈悲にして残忍。白の炸裂の中の白。<白>の神。いや、神ではなく、ホエザルだ。」

ここでは強烈な色彩―あるいは強烈な白―が、まさに幻覚の中心である。20年間、精神医療の歴史を研究してきて、妄想や幻覚の「色彩」のことなど、気に留めたことがなかった。不明を激しく恥じる。ちょうどいま読んでいる素材の読みに、新しい次元を加えることができました。 どうもありがとうございました。