『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』

先日記事にした地下世界の文化史の研究書で、幾つかの村上春樹の作品が触れられていた。その研究書の著者が非常に「できる」学者で、とても読みたくなるような書き方で『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』について論じていた。読みたくなったときに読まないと、この手の本は多分一生読めない。出張の飛行機の中で読んだ。とても、とても、面白かった。

 とても複雑な構造で豊かな内容を持つ傑作で、物語が設定されている舞台は、二つの軸を持っている。一つは、上記の研究書でも論じていた、地上の世界と地下世界という垂直軸である。主人公は、東京の青山のあたりの主人公のアパートに住み、その地下には、邪教を信じて人間を憎みその腐肉を食らう奇怪な生物(「やみくろ」)が棲息する闇の世界がある。主人公はこの闇の世界へと冒険をする。地下世界への冒険にふさわしく、ピンクの服を着た「太った女」と呼ばれる美女もちゃんと出てくる。

 もう一つの軸は、これは人間の意識と深層心理(「意識の核」と言われている)に対応するものである。前者の意識の世界は、主人公が経験して意識している生活や冒険であり、後者の深層心理は、高い壁で囲まれて、そこから人が出ることが許されていない「世界の終わり」という世界である。この世界は、情報処理のために脳外科的な手術を主人公にほどこした結果、主人公の心の中から浮かび上がってきた世界である。(ちなみに、情報処理と暗号化のために主人公の脳を用いているのは国家であって、主人公はまさしく「頭脳労働」をしている公務員である。)そして、主人公の生活と冒険が描かれる意識の世界(「ハードボイルド・ワンダーランド」と、深層心理の世界での出来事(「世界の終わり」)が共鳴しあいながら、交互に描かれるという構成になっている。

 フロイトユングたちは、この意識と無意識の二つの心的世界を「深層」という深さの比喩を使って表現したし、村上も「意識の<核>」という果物の芯のような比喩を使っている。しかし、この作品の大きな魅力の一つは、「世界の終わり」がどのように定位されるのかわからない点である。「世界の終わり」は、強烈な存在感があるにもかかわらず、それがどこかに実在するのか、それとも主人公の心の中だけに存在するのか、ということは、曖昧なままになっている。詳しくは書かないけれども、「世界の終わり」は死後の世界に通ずる性格も持っていて、この小説は死についての寓話にもなっている。