『古寺巡礼』のエロティシズム

 必要があって、和辻哲郎『古寺巡礼』を読む。

 確かめたわけではないけれども、日本の職業的哲学者が書いたものの中で最も読まれている書物の一つは、和辻哲郎の『古寺巡礼』だろう。和辻が二十代のときに奈良の古寺と古美術を訪れたときの批評文である。中国やインドやギリシアの古代文明についての該博な知識が自在に駆使されて、壮大なユーラシアの文明の中の「日本」の姿が、奈良の古寺や古仏に投影される。それと同時に、この書物は非常に官能的な視線を持っている。仏像の体の姿態や腰のねじりを評する和辻の筆は、彼の官能の中枢を経由したもので、読者は、仏像の視覚情報を<肉の悦び>を通じて理解するようにいざなわれている。

 仏像の官能性ではないが、和辻のエロティックな想像力は、法華寺の蒸し風呂にかけられていた光明皇后施浴の図の解説で全開状態となり、光明皇后がらい病患者の膿を吸った伝説を、和辻はほとんど恍惚としながら紹介している。これは有名な話だけれども紹介すると、慈悲深い光明皇后は蒸し風呂を作ってそこで1000人の貧者の垢を流すという願を立てる。999人の垢を流して遂に1000人目、よりによって体がくずれて悪臭を発している「疥癬」がやってくる。(現在の言葉でいうハンセン病にかかっている患者のことである)さすがの后も躊躇したが、ついに辛抱して玉の手をのべて背中をこすりにかかったところ、病人が言うには、長い間この病気を患っているが、ある医者の話では誰か人に膿を吸わせさえすればきっと治るとのこと、お后さま、どうか救ってはくださいませぬか。この患者は、手を触れるだに汚らわしいらい病患者の体の膿を吸えというのだ。ここからの和辻の筆致は、ポルノグラフィックと言ってもいいくらいである。

「后は天平の美的精神を代表する。その官能は馥郁たる熱国の香料と、滑らかな玉の肌触りと釣り合いよき物の形とに慣れている。いかに慈悲のためとはいってもらい病人の肌に唇をつけることは堪えられない。しかしそれができなければ、今までの行はごまかしに過ぎなくなる。・・・信仰を捨てるか、美的趣味をふみにじるか、この二者択一に押し付けられた后は、やむをえず、らい病の体の頂の瘡に、天平隋一の朱唇をおしつけた。そうして膿を吸って、それを美しい歯の間から吐き出した。かくて瘡のあるところは、肩から胸、胸から腰、ついに踵にまで及んだ。」

この話には、誰もが想像できるオチがついていて、それはいい。昭和の戦前のインテリたちの間では、「エロティックな感覚と想像力の解放」が確かにあり、それを歴史や古美術に投影することが行われていた。肉体と官能を持つものとして、過去が再構成されたといってもいいかもしれない・・・ いや、よくないな、それは(笑)。