糖尿病とメタバイオーシスの概念

未読山の中から、糖尿病を素材にして面白い概念を探っている論文を読む。文献は、Feudtner, Chris, “A Disease in Motion: Diabetes History and the New Paradigm of Transmuted Disease”, Perspectives in Biology and Medicine, 39(1996), 158-170.

 疾病構造転換という概念は、シンプルだけれども奥が深い。人々の死因が感染症から慢性疾患へと変わったという非常に単純な現象だけれども、その原因と帰結を整理して捉えた研究は寡聞にして知らない。その中には、天然痘のように<根絶された>ものもあれば、ガンのように<別の病気にとって代わって増加した>死因もある。発展途上国に移った水系感染症のように<Relocateした>もの、エイズのように<新たに現れた>ものなどと並べて、<変質したもの>というカテゴリーを取り上げ、その中でも糖尿病(特にタイプIというものだそうだ)に着目して、新しい疾病概念を提示しているのがこの論文である。

 1920年代のインシュリンの発見は糖尿病患者の余命を劇的に延長した。それまでは、比較的速やかな死が確実に待っていたが、継続的な治療によって比較的長く生存できるようになった。これ以降の糖尿病治療の進展を現代医学の勝利とみなす見方と、医学による患者の生活の支配が強化される過程とみなす見方があって、どちらも事態の一面しか捉えていない皮相的な見方である。この論文は、「メタバイオーシス」という新しい概念を作り出して、糖尿病を現代の病気と医療の複合体の一つの典型として捉えている。

 インシュリンの発見以前は、殆ど全ての糖尿病は「自然のコース」を取っており、人間による介入はこの自然の過程を変えることができなかった。しかし、さまざまな治療の発展の結果、糖尿病は「可塑的な」病気になった。患者個人が選択する治療法に応じて、病気の「変質」の形態も変わってくる。治療の組み合わせの種類だけ、病気の形態が現れてしまうのである。 糖尿病の「変質」と著者が呼ぶものを、医療の進歩に伴う副作用だとか併発症という、かつてのパラダイムで捉えることを止めようと主張している。そうではなくて、医学的な介入によって病気は多様に変質するものになったのだという事態を正面から受け止めよう、そして、そうすることで、医者と患者が経験する現象が多様に変化する事態を、現代の病気の本質的な特徴として捉えようというものである。 この病気・治療・経験などの可塑性をあらわす概念が、「メタバイオーシス」と呼ばれている。