知人の学者に勧められた本を読む。文献は、Garon, Sheldon, Molding Japaense Minds: The State in Everyday Life (Princeton, NJ.: Princeton University Press, 1997).
しばらく近代日本の医療の歴史を手探りで研究していて、だんだん問題の所在が分ってきたような気がしているけれども、まだまだこれから。その中で、イギリス人の知人に薦められたこの書物は、私が気になっていたことの幾つかをすっきりと説明してくれた。本書は、近代日本の「国家」の位置づけをめぐる論争の中で書かれた書物である。著者によれば、ファシズム期の強力な国家統制を念頭において、日本においては国家が強力であり、それに対抗するような理念を持った社会の構造―例えば「市民社会」―は未発達であったという議論が主流を占めていた。しかし、ファシズム期においてすらも、近代日本の国家は強権的に国民を支配していたのではない。そこには、国家の理念に共鳴して、その理念を実行に移す組織が大きな役割を果たしていた。近代日本の国家は、国民を「教化」するための国家と社会を媒介する「中間的な」組織を作り上げ、その組織の中で国民がある一定のヴィジョンを実現できるような社会空間を造りあげていた。そのありさまを、貧民救済、売春の規制、宗教、女性運動の脈絡で検討していくという構成になっている。
この著者は直接触れてはいないが、公衆衛生と伝染病予防も、かなりの部分は「地域に根ざした中間団体」が内務省や県の衛生課の方針を現場で実行する形式を取っており、明治中期の衛生局長たちが腐心したのは、この中間団体の役割を定義することであった。その意味で、私が知っている史実とこの議論はわりとよくマッチする。