未読山の中から、イタリアの大学の解剖学と並行して行われていた、人間を「解剖」する行為の研究を読む。文献は、Park, Katharine, Secrets of Women: Gender, Generation, and the Origins of Human Dissection (New York: Zone Books, 2006).
筆者のパークは初期近代のイタリア医学史研究の第一人者の一人で、優れた仕事が沢山ある。その中で90年代の半ばに出版した解剖学についての二点の論文は、目からウロコが落ちるような独創的で射程が広い視点に基づいたもので、私も授業ではよく使っている。そのパークが書いた書物なので非常に期待して読んだところ、期待を裏切らない傑作で、興奮して読んだ。
パークの議論の最大のポイントは、イタリアの大学の医学部で解剖が成立していたのと同時期に、医学教育以外の場で行われていた人体の解剖に着目したことである。医学的な文脈の外での解剖というのは、聖遺物崇拝などの宗教的な動機で行われた臓器の取出しであり、高位の聖職者の死体が腐敗するのを防ぐために行われた保存 (embalming)であり、死んだ母体から胎児を取り出して救うこと・洗礼することなどであった。大学の解剖が、処刑された犯罪者の体を公開の場でばらばらに切り刻むもので、当時の概念に照らしたときに人格を毀損するものであったゆえにスティグマが付き纏っていたのに対し、これらの宗教的な「解剖」は、比較的侵襲的でない仕方で、エリートの死体のインテグリティを保ったまま体の中を見る行為であった。
さらに、非医学的な死体の解剖は、特に女性に顕著であったとパークは言う。その中でもやはり「子宮」が重要な臓器になった。これは、男性の相続を重視する当時の社会において、女性の子宮というのは、そこで社会の基本である「家系」が再生産される装置であると同時に、男性から見たときに不可視で神秘の空間になるからである。それゆえ、初期の解剖テキストも、レオナルドも、ヴェサリウスも、女性の子宮を解剖学にとって特権的に重要な対象であるとみなしていた。
画像は18世紀の解剖学の大作 ウィリアム・ハンターの The anatomy of human gravid uterus (1784) より