国境の医学化

 アメリカとメキシコの国境において、検疫を通じて人種の概念が形成されたありさまを検討した論文を読む。文献は、Stern, Alexandra Minna, “Buildings, Boundaries, and Blood: Medicalization and Nation-Building on the U.S.-Mexico Border, 1910-1930”, The Hispanic American Historical Review, 79(1999), 41-81.この論文はフーコー流の概念を帝国主義と医学の問題に使った傑作で、必読文献と言っていい。

 アメリカとメキシコの国境は、自然地形によって区別されたものではなく、当初は概念的なものであり地図の上だけに表現されていたが、一連の移民に関する法律が整備され、1920年代には国境パトロールが常駐する現実の国境になっていた。この点において、四方を海で囲まれた日本やイギリスの国境、あるいは同じアメリカでもその東海岸がヨーロッパに対して持っていた国境と大きく異なっているため、アメリカ=メキシコの境界では独特の国境と概念と、それを定義して現実化せしめる実践が行われていた。

 1917年にはエル・パソに巨大な検疫施設が建設された。これはメキシコとの国境を越えてアメリカに入国を希望するものを全員検査し、必要と判断されたものには、脱衣させた上で衣類を消毒し、チフスを媒介する頭髪のしらみを駆除するために、男はバリカンで丸刈りにし、女は灯油と酢をしみこませたタオルで頭を30分間包むという徹底的なものであった。これは、東海岸の検疫所であるエリス島の処置よりもはるかに厳格なものであった。アメリカとメキシコの国境は、医学的な検査によって現実化されたのである。言葉を換えると、医学は国家を定義する実践の中で用いられ、同時に先進国と後進国の差を明示するのにも貢献したのである。

 国境における医学的な実践は、広義の細菌学に基づいていたが、そこには感染よりも遺伝を重視する優生学も関与していた。むしろ両者は病原体を隠すと同時に人種の特徴を有する鍵を握ると考えられた「血」の概念やメタファーを共有していた。医学は「人種」の違いを現実の施策の上で表現するのにも貢献していたのである。