ゾラ『居酒屋』

出張の飛行機の中で、エミール・ゾラ『居酒屋』を読む。アルコール中毒と精神医学に関する部分を拾い読みしたことはあるけど、ちゃんと読んだのは今回が初めて。古賀照一訳の新潮文庫

 『ナナ』の同名の主人公の娼婦ナナの父親にあたるクーポー一家の物語。堅気で真面目、ささやかだが堅実で幸福な生活を送っていた主人公の職人クーポーが、仕事中に屋根から落ちて大怪我をしたことをきっかけに、アル中への破滅の道を転げ落ちていく話。『ナナ』が娼婦の目から見た貴族とブルジョアの世界を描いているとしたら、『居酒屋』は職人たちの世界を描いている。19世紀パリの労働者階級の歴史研究の専門家に言わせると色々と問題があるのだろうけれども、イギリスのディケンズが、性格造形が巧み過ぎるあまりに戯画的な感じを与えてしまうのに対して、ゾラの世界ははるかにリアリティ・エフェクトがある。

 とても印象に残ったのが、二人の職人がクーポーの妻であるジェルヴェーズの愛情を争って、熱した鉄の塊からボルトを作る競争をする場面。ジェルヴェーズが愛しているほうの男(グージェ)が鉄槌をふるってボルトをたたき上げる時のたくましい筋肉、飛び散る汗、はげしい打撃音は彼女の五感を痺れさせる。 

「[グージェ]の打つ鉄槌は彼女の胸にひびいた。鉄床の上と同じように、彼女の胸の中で、大きな血の鼓動を伴奏にして、明るい音楽を鳴らしたのであった。馬鹿げたことのようだが、なにか、ボルトの鉄のようなしっかりしたものを身体に打ちこまれるような気が、彼女にはしたのだ。」

 職人の力強さと技は、彼らの「男らしさ」の象徴であった。しかし当時拡大していた、人間を圧倒する工作機械の前に、その男らしさを脅かしていた。ゾラはこのように書いている。

このすごい機械は12時間に幾百キログラムのボルトを作った。グージェは意地が悪くはなかったが、この古鉄が自分よりもたくましい腕をしているのを見ると腹が立ち、[ハンマー]を取り上げて叩き付けたい気がむらむらと起こってくることもあった。肉体と鉄では争いにならないと自分に言い聞かせて慰めても、激しい悲しさを感じるのだった。」

グージェはジェルヴェーズに寂しげな微笑を浮かべて、「ねえ、これがぼくらを完全に打ちのめすんですよ!」という。ジェルヴェーズが、機械で作ったボルトよりも、グージェが作ったボルトのほうが「芸術家の手が感じられて」素敵だというと、グージェは非常に満足する。「機械類を見たあとでは、彼女が自分を馬鹿にしないかと、ふと心配になっていたからである。」 

ジェンダー論の専門家にとっては、工場労働と蒸気機関の導入は男らしさの基準をゆるがしたというのは常識だろうけれども、これほどヴィヴィッドにそのありさまを描いたものを読んだことがなかったので、メモしておいた。