ペイシェント・ゼロ

 学会で面白い話を聞いたので、ちょっと無駄話を。

 北アメリカのエイズが流行しはじめた時の人間ドラマを描いてピュリッツァー賞を獲ったランディ・シルツの And the Band Played On.(邦題は『そしてエイズは蔓延した』)を読んだ人なら、記憶に焼きついている患者がいるだろう。ガエタン・デュガというカナダ空港のスチュワードである。彼は「ペイシェント・ゼロ」と呼ばれているが、この名称の背後には有名なエピソードがある。

 ニューヨークとロスアンゼルスの男性同性愛者の間で、カポシ肉腫などの奇病で死ぬものが相次いで、アメリカの感染症センター(CDC)の研究者たちが調査し始めていた時だった。それぞれの街の患者に、NY1, NY2, LA1 ・・・ というふうに番号を振って、彼らの性関係を調べていた時に、何人かの患者が関係を持ったある一人の男が浮かび上がった。その男は、カナダ人であってアメリカの管轄外なので、out-of-country の O (オー)を取って、ペイシェント・オーと呼ばれた。しかし、いつの間にかCDCの研究者は、この O を「ゼロ」と読むようになった。そしてガエタン・デュガは、エイズの大流行の原点であるという神話的な色彩を帯びた「ペイシェント・ゼロ」と呼ばれるようになった。当時は原因も治療法も全く分かっておらず、なすすべもなく患者が現れては急速に死んでいくのを、手をこまねいて見ているしかない病気が、感染症であること、そして、その感染症が潜伏した状態ですでに蔓延しているという可能性に直面したCDCの研究者たちが、捕捉できない外国人のスーパースプレッダーに対して感じた焦りと恐怖がにじみ出ているような名称である。

 ガエタン・デュガに関するカナダ側の話をした発表があって、その質疑応答のときに、会場にいた初老の紳士が立ち上がって、自分は、後にノルウェイの最初のエイズ患者として認定された患者を診療した、と言った。そして、感情を押し殺した声で、一人しか患者がいないときに、それが感染症だなんて分からないじゃないか、と続けた。

 「患者を一人しか見ていなくて、それが何の病気か分らないときには、感染するかどうか知るすべがない。」

 当たり前のことだけれども、私が完全に忘れさっていた、基本的な事実だった。