血清療法の起源

同じ新着雑誌から、ベーリングのジフテリア血清の起源を論じた論文を読む。文献はSimon, Jonathan, “Emil Behring's Medical Culture: From Disinfection to Serotherapy”, Medical History, 51(2007), 201-218.

ベーリング (Emil von Behring, 1854-1917)と北里による、ジフテリア破傷風の血清の成功を報じた論文は1890年に発表された。(賞をクレよか血清療法 1890)ある病気の毒素を弱毒化して注射された動物の血清は、その特定の病気を治療する効果があることを発見したこの療法は、ジェンナーの牛痘と並んで、免疫学の原理が明らかになる前に、医学が経験的に発見した予防法・治療法の一つだと考えられている。

このような仕方で、ベーリングが知らなかった原理を核とする学問を基準にして、それをアンティシペイトしたものとしてベーリングの仕事を位置づけること(「免疫学の先駆的な業績」)は、ホイッグ史観とか現在中心主義と言われていて、歴史学者にはあまり人気がない。これについては色々あるが、こういった理解の仕方が、ベーリングや北里が「なぜ」血清療法を発見したのかという問題を「説明」していないことは、誰にとっても明らかだろう。

 この論文は、その「説明」を試みたものである。論点はシンプルで目からウロコが落ちる。ベーリングは、人間は動物の血液が持つ「内的消毒作用」という説を発展させて、この実験を理解していたという。

 ベーリングは軍医として出発した。当然のように傷口の消毒には大きな興味を持ち、当時その消毒作用が注目されていたヨードホルムについての論文が、彼の科学研究の出発点
であった。(ヨードホルムはドイツのお家芸の化学工業の産物であった。)この軍事医学における消毒への関心から、さまざまなモデルの「消毒」が研究され、その中には人間や動物の血液が持つ消毒作用への注目もあったという。

ベーリングの「背景」から、問題となっている有名な実験との因果的な説明が、ちょっと弱いような気がするが、まあ、ベーリングはそれでいいだろう。しかし、共同執筆者の北里には軍事医学のバックグラウンドはない。北里が血清療法を着想したヒントは、北里自身が弟子たちに後年語ったところによれば、コカイン中毒だった。次第にコカインの量を増していかないと効かなくなることと、毒素を増やしていくことを並行的に考えていた。 北里の血清療法の起源は、消毒ではない。 このあたりは、注意を要するところである。