形而上学的ポルノグラフィ

 クロソウスキーの『バフォメット』を読み返す。20年くらい前に買った書物が、美しい箱に守られて少しも傷んでいなかったので嬉しかった。さすがペヨトル工房だと感心する。 この記事が、ヤフー・ブログの倫理コードを通過できるかどうか、ちょっと不安。  

 先日カンポレージの本を記事にしたときに、肉の悦びを味わう霊魂というパラドックスと似たような主題が、どこかで展開されていたのを読んだはずだと気になっていて、何かの拍子に『バフォメット』だったと思い出した。カンポレージの書物は、この主題を民俗学の水準で論じていて、パルマハムとか快楽主義のサラダとか、日常生活の方向に話が向かっていくが、クロソウスキーの小説の方は、12世紀のテンプル騎士団の異端信仰に素材を取っていて、日常とは全く異質な世界が描かれている。その意味で、連想する必然性は全くないけれども、そのあたりは大目に見てください(笑)。

 「形而上学的ポルノグラフィ」と銘打たれているが、なるほど形而上学的であり、確かにポルノグラフィである。主人公たちは、肉体を持たない霊であって、その霊たちが、中世最大のスキャンダルとなったテンプル騎士団の瀆神の秘儀を通じて、肉体や記憶や同一性を獲得したり失ったりする物語である。

 例えば、テンプル騎士団の首領の霊が、絞首された若者の美しい死体の中に入るために、渦巻きとなって死体の周りを廻るくだりがある。首領の霊は、死体の巻き毛と戯れて耳に囁きかけ、口と耳と鼻の三つの高貴な穴からは若者の体内に入れないのを察すると、下半身の「けがらわしい穴」から入ろうかと迷う。その穴は、聖修道会の紋章の形に切られたダイヤモンドの指輪でふさがれていたが、首領の霊が激しい息となって挑みかかると、そのダイヤは取り除かれる。しかし、その「いまわしい入口」から入り込んだのは首領の霊ではなく、首領が機械によって肉体を与えようとしていた聖テレジアの霊であった。聖テレジアの霊が死体に導かれるや、その死体は七回の射精をして精液を首領に浴びせかけ、修道尼と少年の身体を兼ね備えた両性具有となって復活する。これが、自ら「バフォメット」と名乗る騎士団の神が生まれるくだりである。

 私が要約すると、まるで妄想のカルテのようになってしまって(笑)、形而上学的でもポルノグラフィでもどちらでもなくなってしまって悲しいけれども、原作は、不可視の事物の官能と汚らわしいエロティシズムを散りばめた、とても不思議な気分になれる本。 あ、若き日の浅田彰が解説を書いていたことも報告しておきます。