20世紀医学にとっての身体と時間

20世紀医学にとっての身体と時間を論じた議論を読む。文献は、Armstrong, David, “Temporal Body” in Roger Cooter and John Pickstone eds., Companion to Medicine in the Twentieth Century (London: Routledge, 2000), 247-259.

筆者はイギリスの医療の歴史社会学の第一人者。すっきりして分りやすい論文を沢山書いていて、重宝している。

社会学の抽象的な議論をカットすると、この論文のコアは、20世紀の医学は、その生命と病気の理解の中に、時間性を持つ概念を大々的に取り込んだということである。このコアの主張を四つの事例でサポートしている。第一が、生命の始まりと終わりという、かつては点であると理解されていた現象が、時間的な広がりをもった線的な現象であると理解しなおされたということである。出生近辺の過程が、胎児-新生児-乳児というように細分化され、死は心臓死、脳死、細胞の死のような過程となる。

第二は、死因分類の中で、主として未熟児の「生命力の欠如」、老人の「老年」といった、生から死までの自然の過程に訴えて病気と死を説明することが拒絶されるようになる。私も昔の死因分類の仕事をしたときに、「老衰」は<死因ではない>という感じを抱いていた。第三は小児科と老年医学における変化だが、これらの専門分科が、一般の病気がたまたま子供や老人に起きた病気を扱うのではなくて、小児科は発達と成長により、老年医学においては加齢により、特別な種類になった病気を扱うようになった。第四に、病気の過程を長期にわたってモニターし、時間の幅を持った診療が現れたこと。特に、リスクの概念は、観察できる個々のエピソードを、長く複雑な連鎖の中で定義するようになったこと。

どの指摘も面白かった。ただ、医学が時間性の概念を持ったことが、20世紀医学に「特徴的である」という主張が当たっているかどうかは、なんとも言えない。