学会の口頭発表で、衝撃で打ち震えるような独創的な視点を学ぶ。 論文は守山恵子「口述筆記の医学書に見られるオノマトペ - 『蕉窓雑話』を中心に -」平成19年度日本医史学会秋季大会(2007年11月・長崎)この報告を聞き始めたとたんに、私は思わずこぶしでテーブルを叩いた。 私が考えても見なかった方法だった。 コロンブスの卵で、言われてみれば当たり前だけれども。
私の関心の中心は「臨床」の歴史である。過去において医者と患者が出会った時に、両者がどんな条件で何をしたのか、その歴史を明らかにすることが、私にとっての医学史のセントラル・クエスチョンである。
この問題を考えるために使える資料は、色々ある。 ミシェル・フーコーはパリの臨床医学革命の時代の医者が書いた資料を使って、天才的な洞察でこの問題に光を当てた。 ロイ・ポーターは「患者の歴史」を掲げて、患者が書いた資料を使った。 バーバラ・ドゥーデンは、患者が医者に語った物語が細かく記された資料のセットを使った。
守山恵子が使ったのは、江戸時代の医学教師が弟子たちに口述で教えた内容が、そのまま記録された医学書である。これは口述筆記だから、先生が口で説明したことがそのまま書きとめられている。当時の書き下ろされた医学書では、オノマトペ(擬音語・擬態語)は稀だけれども、この書物は口述だから数多くのオノマトペが現れる。全部で150種類、のべ291語が使われているという。 「ガッハリ」「キックリ」「サッハリ」などなど。
守山は触れなかったが、これらの多くは、患者の身体感覚や、医者が自分の身体で感じた感覚を、言葉で表現したものであることは間違いない。 頭がズキズキ痛む、ガンガンする、おなかがシクシク痛む、胃がキリキリするなどなど。 こうやって表現された患者の身体感覚を、医者が徴候や症状に翻訳して、それを病理解剖上の知見や検査の結果につきあわせるというのは、今も昔も臨床の一つのコアである。 つまり、守山は、身体感覚-言語表現-医学的実践という、患者と医者がコミュニケーションをするときの鍵になる媒介を特定しているのである。
そして、この鍵は、実は日本の医学史研究だけが恵まれているものである。日本語にはオノマトペが多く、日本人が外国語で病気を医者に伝えるときに一番困るのが、痛みのオノマトペだそうだ。 逆に、外国人の医学生が一番困るのが、日本の患者のオノマトペだそうだ。 そんなものは、医学教科書には書いていないから。 言語学者で、外国人学生に日本語を教えている守山ならではの視点である。
会場で出た冗談を一つ。 ある医者の先生が若い頃、カルテに患者の表情を記入するのに、「ひょっとこのような顔」と書いて、先輩にしかられたそうだ。 これを科学的・専門的な用語で言うとどうなるんだろう? あるいは、それをかつて医者の標準語だったドイツ語で言うとどうなるんだろう(笑)