「デリケートなお料理」って何だろう?

カンポレージの18世紀キュイジーヌ革命論を読む。文献は、Camporesi, Piero, Exotic Brew: the Art of Living in the Age of Enlightenment (Oxford: Blackwell, 1994).

しばらく前に記事にした Food in World Historyで、18世紀には、社会の上層に供される美食の性格が、イギリスでもフランスでも日本でも同一の方向に変わったという指摘があって面白かった。その変化を一言で言うと、「エレガントになった」ということである。多様な素材を一緒に調理して豊かな味わいにして、巨大な皿に山盛りにされて豊かさを誇示する宮廷料理から、比較的シンプルな食材を少量ずつ一皿ずつわけて「コース」に分かれて出すものになったという。コース料理でも懐石料理でも、この特徴を共有していて、この部分は非常に明快である。

それだけでなく、カンポレージは、料理の味もエレガントに・デリケートになったというのだ。料理の味の「雰囲気」という歴史学者にとって非常に扱いにくい問題に、軽々と、というか、抜け抜けというか(笑)とにかく平然と踏み込むところが、カンポレージらしい。エレガントな味というのは、直感的になんとなく分る気はする。美術の様式と同じで、バロックとロココというスタイルの区別というのは、必ずしも厳密に定義できるものではないが、ロココな料理というと、雰囲気は伝わってくる。インドのカレー料理を「エレガント」とは表現する人は(少なくとも私たちの間では)少ないだろうし、エレガントなすき焼きとか、デリケートなたくあんというのは、想像しにくい。

しかし、これをもう少し厳密に考えようとすると、料理の「エレガントさ」をどう考えればいいのだろうか?もともと、料理とその味が持つ「雰囲気」を言葉で表現するのは難しい。美味しいものが好きだという人と食事しても、味を表現する語彙はたいして多くないのは、その人の知性の問題だけではない。さしものカンポレージも、「肉感がない官能性」だとか「精妙な厳格さ」だとか、色々な表現を並べて18世紀の味覚の変化の特徴を手探りで言い当てようとしているという印象を持つ。そのなかで、一番核心に踏み込んだ記述だと思ったのが、「[エレガントな料理においては]複数の風味が、遊戯的にオーヴァーラップしたり、コントラストがつけられたりするが、味が混合されてしまうことはない」という表現だと思う。複数の風味が、輪郭をもった複数の風味として存在することとでも言うのかな。これが、ガード下で食べる、おでんやモツの煮込み系統の料理と、京都で出しそうな、ハモの梅肉和えにユズとアサツキを散らした料理(そんなものがあるのかどうか知らないけど・・・笑)の違いなんだろう。

カンポレージの書物を読むもう一つの楽しみは、彼が引用する文句が、どんぴしゃで決まっていることである。その中の一つが、モンテスキューの手紙のなかから引用されていた台詞。「ランチは無垢な悦び。ディナーは、殆どの場合、罪深い悦び。」(Lunches are innocent. Dinners are almost always criminal.)