ベンヤミンのハシシ服用のプロトコル

ハクスリーのメスカリンが面白かったので、未読山の中にあったベンヤミンのハシシ実験記録を読む。文献は、Benjamin, Walter, On Hashish, introduction by Marcus Boon, ed. by Howard Eiland (Cambridge, Mass.: The Belknap Press of Harvard University Press, 2006).

ベンヤミンには有名な「マルセイユのハシシ」という文章があり、私は知らなかったけれども、ハシシを題材にした物語がもう一篇あるそうだ。この二つの刊行されたテキストに加えて、この書物は医学史家としては目からうろこが落ちるような資料が収録されている。ベンヤミンがハシシを服用したときに、彼自身と、その実験に立ち会った医者たちが残した手書きのメモ、即ち実験の「プロトコル」である。日付が記されていないものが一つあるが、実験は1927年から34年にわたって12回行われた。これらの実験について、ベンヤミン自身が書き記したもの、彼の口述筆記、医者たちが記した観察などが集められて英語に翻訳され、丁寧な注がつけられている。

マルセイユのハシシ」は、ベンヤミンの精神にマルセイユの波止場の情景がどのように立ち現れるかという、知覚された事物についてのモノローグになっているが、このプロトコルを読むと、この実験そのものが複数の人間が参加して作り上げられた場であることが分る。このあたり、全く考えたことがなかった。 

刊行された「マルセイユのハシシ」は私がとても好きなエッセイだけど、それと同様に、プロトコルの中でもベンヤミンの筆は冴えわたっている。ユーモアのセンスも忘れられていない。二回目の実験で、前回に較べてハシシの効果があまり強くなく、彼が「悪魔的な側面 - それも悪魔的な破壊ではなくて、悪魔的な静謐さ」と呼ぶ世界が現れたときに、彼はその経験を「カルヴィニストの酩酊」と表現した。カルヴィニストの酩酊・・・って、どんな酩酊なんだろう(笑)

マルセイユのハシシ」は何回も読んだのだけれども、観相術の話が出てきたのは全く憶えていなかった。ハシシを服用したベンヤミンは「私は観相術師になった。あるいは少なくとも相貌の記号をみつめる者になった」という。そして、人々の顔―平凡な顔や、いつもなら避けそうな醜い顔でも、それをまじまじと見つめ、美しさを見出すことができたと言う。そのときに、ベンヤミンレンブラントの魔法が分ったと感じたそうだ。 道行く人が、レンブラントが描く絵の登場人物のようになっている世界という経験は・・・たしかにかなり興味はある(笑)。でも、たとえばコンビニの店員とか駅の雑踏とかの人物が、みなレンブラントの肖像画に描かれている人のような個性のオーラを漂わせていたら、正直、かなり疲れると思うんだけど。