近代中国の人種理論

必要があって、近代中国の医学における人種理論の歴史の概論を読む。文献は、Dikoetter, Frank, “The Discourse of Race and the Medicalization of Public and Private Space in Modern China”, History of Science, 29(1991), 411-420.筆者は近代中国の性や生殖や人種といったバイオパワー系の医学史の第一人者でたくさんの本を書いたり編集したりしている。

議論の一番の大枠だけを示した論文。近代中国の医学における人種理論には、時間、空間、秩序の三つの次元があったという。時間の次元においては、それまでの医学における円環的な時間(これが説明がなくてよくわからなかった)から、スペンサーの進化論的社会学に影響されたリニアな時間で人間の身体を理解するようにあり、進化 (jinhua) と退化 (tuihua) の時間の中で人間と社会を理解するようになった。空間の次元においては、公 (gong) と私 (si) という言葉の意味が徐々に変化していき、政府の官職という意味だった「公」が、現在の「公衆」という意味になっていくが、その中で、かつては宇宙の秩序の一部であった人間が市民として再定義されて人種の中に位置づけられる。その過程で、家庭での生活や生殖などの私的空間における営みを医学の対象とする新しい空間的な分節化がされる。秩序については、個人ではなくて家庭が公民を構成する「細胞」として理解され、家庭道徳に新しい市民社会を維持する役割が期待され、医学は家族の文脈で市民の身体をパトロールすることとなった。

当たり前のことだけど、近代医学が入ってくる以前においてすでに、中国(清)はすでに漢民族を含めて広大な地域の異民族を統治しており、それぞれの民族の特徴を把握する「帝国科学・帝国医学」を持っていた。