未読山の中から、中世から近代にかけてヨーロッパの健康水準が上昇していく過程を簡潔に描いた書物を読む。文献は、Bourdelais, Patrice, Epidemics Laid Low: a History of What Happened in Rich Countries, translated by Bart K. Holland (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 2006). 著者はもちろんその気になったら複雑な統計資料を使いこなせるが、統計表はいっさい出てこない一般向けの書物である。 病気、特に感染症との闘いを描いた歴史書は色々と類書があるが、本書はフランスに重心がかかっているという特徴のほかに、重要な洞察を簡潔に記し、それをヴィヴィッドに描く、「どんぴしゃり」の具体例が添えられている好著である。さすがにある学会で「フランス風の学会コメントは美しくなければならない」とのたまったスタイリストだなあと感心する。
たとえば、コレラ対策が、中世から初期近代のペストと違って、民主主義と商業が発達した19世紀という時代に合わせたものであることを示すのに、コレラの感染性 (conta-gion) の問題に焦点を合わせて、個人の自由を奪い商業を阻害する感染説は19世紀の前半には否定される傾向があったと説明することは、私たちが必ず教室で習い、学部生に教えることである。しかし、これを説明する具体例として、1831年にコレラが流行していたポーランドを訪れてフランスの委員会の委員長のブリエール・ド・ボワズモンの報告を取り上げて、以下のエピソードを挿入するあたりが、フランス風の「クリスプな」手さばきである。
ポーランドのある都市(オパトウ)で、コレラに脅えて全ての商業が停止し、店は閉じられていた。この街の人々に活気を注入するために、我々は市当局にコレラは感染性の病気ではないといったところ、旅行が再開されて人々は市の内外を行き来するようになり、取引の市が立つようになった。
コレラが感染する病気ではないという説は、経済を復活させ、それを通じて社会を安定させることを、フランスの委員会は知っていたのである。
もう一つ、これは1893年のエピソード。フランスの母子健康保健診療所を設立したガストン・ヴァリオは、診療所が母親たちを無意識のうちにホモ・ヒギエニクスに変えるありさまに満足してこう書いている。
女たちは診療所に来て、一緒に子供の服を脱がせるのだが、その時に無意識に自分の子供を他の子供と比べる。これまで授乳を怠ってきた母親たちがすぐに改善するのに、この経験だけで十分である。母親たちは、互いに話し合ったりしないが、自分の子供と他と較べてどうかということを無意識のうちに判断し、気に留める。そして恥ずかしいという感情を持てば、もう汚くて世話が行き届かない子供を連れてきたりはしない。
先日取り上げたラービッシュが、こういうことを念頭に置いていたのかどうかは分らないが、労働者たちがホモ・ヒギエニクスに改造される過程では、こういう「競争」も働いていただろう。そしてその時に、「裸にする」ということがクルーシャルだったこと、あるいは医者がそう考えていることは、象徴的である。
そのほかにも、19世紀末の自治体がイニシアチヴをとった衛生改善政策、種痘以外にもたくさんあったワクチンの位置づけなど、いちいち小粋な記述である。 これはお買い得の本。