かんきつ類の文化史


かんきつ類の文化史を読む。文献は、Laszlo, Pierre, Citrus: a History (Chicago: University of Chicago Press, 2007)

同じ著者の塩の文化史 (Salt )はとても面白い、スタイリッシュな内容の本だった。売り上げもかなり良かったと聞く。二匹目のドジョウを狙ったこの本は、前作ほどではないが、やはりとても面白い。

アレクサンダー大王の東征によってアジアからヨーロッパにもたらされたかんきつ類は、複雑な歩みをたどることになる。中世にはイスラム世界のデリカシーとしてイベリア半島にもたらされた。イスラム教徒からかんきつ類を学んだスペイン人やポルトガル人は、新大陸のフロリダやカリフォルニアやブラジルにヨーロッパからかんきつ類をもたらし、交配の結果つぎつぎと新種を作り出していた。ブラジルが初期近代にはすでにかんきつ類生産が盛んだったひとつの理由は、その果汁が長期の外洋航海につきものだった壊血病の予防に効果的であることを、イエズス会がひそかに知っていたせいもあるのかもしれない。同じ時期にヴェルサイユに代表されるヨーロッパの宮廷は、「オランジェリー」を建設し、大きな鉢に植えられたかんきつ類を温室におさめては、自然に対する王の権力と秩序を表現していた。19世紀にカリフォルニアがアメリカに組み込まれると、そこは安い移民労働と潅漑と土地改良と近代農業に依存したかんきつ類栽培の王国となった。

スペインのことわざで、意味は良くわからないけれども、なんか魅力的なものがあったので。「神がレモンを恵まれたのなら、人は精を出してレモネードを作るのがいい」