フランスのアフリカ植民地のマラリア

フランスのアフリカ植民地におけるマラリアの歴史を読む。文献は、Cohen, William B., “Malaria and French Imperialism”, Journal of African History, 24(1983), 23-36. これまで知っていたこと、話していたこと、それどころか教えていた説明とまったく正反対の内容が説得的に書いてあって、青ざめた。しかもこれが25年前に出た論文とは。

議論のコアはシンプルかつ強烈なリヴィジョニズム。これまでの定説は、アフリカに派遣された軍隊にキニーネを予防的に服用させることによって、マラリアの罹患率・死亡率が下がり、熱帯で軍事行動を行って帝国を拡大することができるようになった、すなわちキニーネは帝国拡大の有力な道具であったというものであった。この論文は、いくつかの水準でこの定説がフランスには当てはまらないことを論じている。まず、キニーネの服用は、それが兵士の男性機能を喪失させるなどの恐れから、フランス軍では著しく人気がなく、キニーネの予防的服用がフランス軍に定着するのは第一次大戦後、つまり帝国主義的拡張のフェーズの後であったこと。そして、キニーネの予防的服用が他の国の軍隊では行われるようになっても、フランス軍はマラリアのために高い死亡率を記録していた。(たとえば1895年のマダガスカルでの作戦では、約5000人の死者が出たが、その72%はマラリアによるものだった。)

そして、キニーネがマラリアの死亡率を下げて帝国支配を可能にしたのではなく、因果関係はその逆で、帝国がマラリアの死亡率を下げたのだという。アフリカの地域を支配することで、マラリアに対して免疫を持つ現地人を兵士として徴発することが可能になった。彼らがフランス軍に協力することで、比較的少数のフランス人兵士で軍事行動を行うことが可能になった。また、支配した地域から食料や人夫などを徴発することも可能になり、軍のロジスティックも安定した。つまり、フランスのアフリカにおける帝国の拡大は、支配地がいったんできると支配地をさらに拡大させることがマラリア的に言ってより簡単になるという雪だるま効果が働いた結果であって、キニーネが果たした役割は小さかったという。