イザベラ・バード『日本奥地紀行』

必要があって、イザベラ・バード『日本奥地紀行』を読む。高梨健吉訳で平凡社文庫から出ている版で読んだ。

イギリスの女性旅行家で、南北アメリカや朝鮮など世界各地を旅行して多くの旅行記を出版したイザベラ・バードが1877年(明治11年)の6月から9月にかけて東北から北海道を旅行したときの旅行記。東京から日光を経て新潟へ、そこから北上して陸路で山形、新庄、秋田、青森などを訪れ、青森から函館へ渡り、函館から北海道の苫小牧や紋別などを訪れている。原題は Unbeaten Track であるが、まさにそのタイトルを裏切らず、大きな街道を外れた道なき道を馬や徒歩で通って、小さな村で宿を請うような行程を続ける。東北の奥地の村は貧しいものも多く、「かび臭さ」や「悪臭」に悩まされる。村人たちは皮膚病や眼病にかかっているものが非常に多い。地図がないので、彼女が訪れた村が具体的にどこなのか、丁寧に調べないと分からないが、坂下という村ではマラリアが広がり、院内では脚気が広まっていた。横浜で雇った通訳の日本人の若者(上前ははねるけれども、正直で勤勉な若者だった)は、外国人にこんな日本の光景を見せるのは恥であると感じていた。アイヌの部落(平取)では極度の貧困を目撃し、当時のアイヌたち(と北海道の日本人たち)が酒におぼれて堕落・退廃しきっていることを深く悲しんでいる。飲酒の習慣がもたらした破壊的な影響は、それまで孤立していた文化圏が、より進んだ(と言うべきではないのだろうけれども)文明と接触した時の定番である。19世紀のハワイもそうだった。

色々と面白いテーマがたくさん語られていたが、その中から一つだけ紹介する。バードは行く先々でにわか医者の役をすることになる。川島という村で、宿の小さな男の子の咳を手持ちのクロロダインという薬で治すと、そのうわさはあっという間に村に広まり、翌日の朝5時には宿の外には村中の人間が集まり、皮膚病、やけど、たむし、目が見えないこと、腫れ物などの病人と、外国人の女性による治療を見物しようという村人が集まっていた。バードは自分にはそんな病気は治せないと説明し、衣服と体を清潔にすることを説いた。バードの薬が「奇跡」を起こして村人に治療をせがまれるということは、その後も行く先々で繰り返された。