J.L. ボルヘス『伝奇集』

春のうららの午後、新宿から河口湖まで中央本線と富士急を乗り継いで、緩慢に、そして不可避的に進む電車の中で(笑)、ボルヘス『伝奇集』を読む。窓の外のひなびた風景が、形而上学的な謎に満ちているかのように見えてきた傑作だった。鼓直による訳の岩波文庫

ボルヘスというと、フーコー『言葉と物』の冒頭で引用されている「シナの百科辞典」や、エーコの『薔薇の名前』で図書館の写本の秘密を守る修道士として登場させられているせいか、博学と知的な謎を詰め込んだ学者肌の作家というイメージがあるけれども、私の中では、リリカルなストーリーテラーとしての魅力が大きい。『悪党列伝』のティチボーン卿の爵位僭称者の物語や、赤穂浪士の話は、彼の博識と知的な側面と同時に、アクションとサスペンスに満ちた物語を語るときの魅力をよく伝えていると思う。この『伝奇集』という短編でも、「円環の廃墟」「八岐の園」「死とコンパス」などが持っているミステリー仕立ての物語という性格は、その論理的な構造と同じくらい重要だと思う。

ストーリーはないけれども、偶然と確率論を下敷きにした秀逸な知的遊戯の作品である「バビロニアのくじ」という作品があって、これがすごく面白かった。バビロニアでは、それまで普通のくじを売っていた。これは、くじにあたるとある額の金銭を受け取るという、ありきたりのものであり、この即物的で精神的な深みに欠ける形式は人気がなかった。改革が試みられ、はずれ番号を買ったものは罰を受けることとなった。最初は罰金だが、後には禁固刑などが定められ、くじにはずれたものは、たとえば手足を切断されたりという罰則を受けることとなった。こうして、くじの仕組みは肥大し、重層化し、死刑執行のような重要なことから、きわめて瑣末なことまで、くじによって決められることになる。

私の要約だと何の魅力もなくなってしまうけれども、このごく短い短編は、すごく深い魅力を持っていて、きっと、確率論の哲学者たちのお気に入りのテキストなんだろうな。